新潟地方裁判所 昭和57年(ワ)385号 判決 1992年3月31日
《目次》
(判決第一分冊)
事件の表示
判決
当事者、訴訟代理人及び指定代理人の表示(別紙目録記載のとおり)
主文
事実及び理由
第一編原告らの請求
第二編責任
第一章被告国について
第一争いのない事実
一水俣病とメチル水銀
二新潟水俣病に関する事実関係
三熊本県水俣市を中心とする水俣病に関する事実関係
第二当事者の主張
一原告ら
1 直接的加害責任
2 先行行為に基づく作為義務違反
3 行政指導による作為義務違反
4 排水規制権限の不行使(水質二法による作為義務違反)
二被告国
1 直接的加害責任について
2 先行行為に基づく作為義務違反について
3 行政指導についての作為義務違反について
4 水質二法による作為義務違反について
第三判断
一
1 直接的加害責任について
2 先行行為に基づく作為義務違反
3 行政指導による作為義務違反
4 水質二法による規制権限の不行使について
二結論
第二章被告昭和電工について
第三編水俣病の病像
第一章事案の概要
第一新潟水俣病の意義
第二水俣病の神経症候
一水俣病の一般的な神経症候
二水俣病の主要神経症候
1 感覚障害(知覚障害)
2 運動失調(協調運動障害)
3 平衡機能障害
4 求心性視野狭窄
5 言語障害
6 聴力障害
第三争点
第二章争点に対する判断
第一水俣病の発症機序について
一人体におけるメチル水銀の発症閾値について
二メチル水銀の生物学的半減期
三遅発性水俣病について
第二臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病の存在について
一主要神経症候が感覚障害のみである水俣病の存在について
1 感覚障害のみが出現する可能性について
2 感覚障害のみが残存する可能性について
3 実際例について
4 小結
二被告らの主張について
第三水俣病罹患の有無の判断について
一水俣病罹患の有無の判断について
二四肢末梢性感覚障害を生じさせる他の疾患との鑑別について
1 頸椎症性脊髄症との鑑別について
2 糖尿病との鑑別について
3 脳血管障害との鑑別について
4 高血圧症との鑑別について
5 原因不明の多発神経炎について
第四疫学条件について
一疫学的事実
二阿賀野川の汚染状況
1 汚染の期間
2 汚染の地域的範囲
3 農薬による水銀汚染の主張について
4 汚染魚の範囲
三各疫学的事実について
1 居住歴について
2 川魚喫食歴について
3 職業について
4 家族等の症状について
5 犬猫の異常について
6 毛髪水銀値について
四疫学的事実は非客観的、不確実であるとの被告らの主張について
五新潟水俣病と熊本水俣病とでは疫学的事実の意義に差異があるとの被告昭和電工の主張について
第五原告らの水俣病罹患の有無について
一甲C号証の感覚障害所見の信用性について
1 甲C号証を作成した医師について
2 甲C号証の感覚障害所見の信用性について
二感覚障害の部位(半身性、変動)について
1 半身性の感覚障害について
2 感覚障害の部位の変動について
三原告らの水俣病罹患の有無について
第四編損害
第一原告らの主張について
一原告らの主張(包括一律一部請求)
二検討
1 一部請求について
2 包括請求について
3 一律請求について
第二損害額(慰藉料)の算定等
一損害額
二弁護士費用
三遅延損害金
第五編結論
〔別紙〕当事者目録
〔別紙〕代理人目録
〔別紙〕認容額一覧表
〔別紙〕請求棄却原告目録の一
〔別紙〕請求棄却原告目録の二
別表1(地震前に捕獲した幼魚中の総水銀量)
別表2(地震前に捕獲した幼魚中のメチル水銀量)
別表3(魚介類、底棲生物の水銀含有量)(判決第二分冊)
個別原告についての検討
第一 五十嵐幸栄 (原告番号一)
第二 五十嵐カヨ (原告番号二)<省略>
第三 織田三江 (原告番号三)<省略>
第四 三浦スヅ (原告番号四)<省略>
第五 大塚キイ (原告番号五)<省略>
第六 志田新作 (原告番号六)<省略>
第七 五十嵐三作 (原告番号七)<省略>
第八 石山喜作 (原告番号八)<省略>
第九 小武シズカ (原告番号九)<省略>
第一〇 高橋マツイ (原告番号一〇)<省略>
第一一 井村十三男 (原告番号一一)<省略>
第一二 石山松栄 (原告番号一二)<省略>
第一三 渡辺義 (原告番号一三)<省略>
第一四 坂井ミヨイ (原告番号一四)<省略>
第一五 小武節子 (原告番号一五)<省略>
第一六 渡辺篤 (原告番号一六)<省略>
第一七 木村政雄 (原告番号一七)<省略>
第一八 木村實 (原告番号一八)<省略>
第一九 南サク (原告番号一九)
第二〇 井村文吉 (原告番号二〇)<省略>
第二一 今井八蔵 (原告番号二二)<省略>
第二二 木村満子 (原告番号二三)
第二三 井村キヨ (原告番号二四)<省略>
第二四 木村冬 (原告番号二五)<省略>
第二五 平岩喜代三 (原告番号二六)<省略>
第二六 平岩春次郎 (原告番号二七)<省略>
第二七 平岩愛子 (原告番号二八)<省略>
第二八 新保新次郎 (原告番号二九)<省略>
第二九 福井勝治 (原告番号三一)<省略>
第三〇 徳原幹久こと玄致炯(原告番号三二)
第三一 坂井フミイ (原告番号三三)<省略>
第三二 長谷川ミツ (原告番号三四)<省略>
第三三 吉田カヅイ (原告番号三五)<省略>
第三四 渡辺ヨシ (原告番号三六)<省略>
第三五 星田ゆきえ (原告番号三七)<省略>
第三六 今井ミイ (原告番号三八)<省略>
第三七 五十嵐コシミ(原告番号三九)<省略>
第三八 佐久間タカノ(原告番号四〇)<省略>
第三九 佐久間ムツミ(原告番号四一)<省略>
第四〇 長谷川サチ (原告番号四二)<省略>
第四一 加藤信一 (原告番号四三)
第四二 加藤傳作 (原告番号四四)<省略>
第四三 加藤トヨ (原告番号四五)<省略>
第四四 角田平吉 (原告番号四六)<省略>
(判決第三分冊)
第四五 川瀬吉平 (原告番号四七)<省略>
第四六 山田正 (原告番号四八)<省略>
第四七 渡辺隆吾 (原告番号四九)<省略>
第四八 渡辺トミノ (原告番号五〇)<省略>
第四九 五十嵐キヨ (原告番号五一)<省略>
第五〇 大嶋與四一 (原告番号五二)
第五一 大嶋ヨシノ (原告番号五三)<省略>
第五二 帆苅好子 (原告番号五四)<省略>
第五三 市川栄作 (原告番号五五)<省略>
第五四 中川キサ (原告番号五六)<省略>
第五五 帆苅周彌 (原告番号五七)<省略>
第五六 石塚治七 (原告番号五八)<省略>
第五七 市川文子 (原告番号五九)<省略>
第五八 水留信 (原告番号六〇)<省略>
第五九 市川サキ (原告番号六一)<省略>
第六〇 渡辺テイ (原告番号六二)<省略>
第六一 鎌田建作 (原告番号六三)<省略>
第六二 中川トメ (原告番号六四)<省略>
第六三 板倉ハツミ (原告番号六五)<省略>
第六四 中川タミ (原告番号六六)<省略>
第六五 鈴木勇 (原告番号六七)<省略>
第六六 加藤キソ (原告番号六九)<省略>
第六七 小嶋キヨミ (原告番号七〇)<省略>
第六八 斉藤新一郎 (原告番号七一)<省略>
第六九 鈴木ミヨシ (原告番号七二)<省略>
第七〇 皆川和男 (原告番号七三)<省略>
第七一 石井文作 (原告番号七四)<省略>
第七二 阿部繁昌 (原告番号七五)<省略>
第七三 阿部キヨ (原告番号七六)<省略>
第七四 斉藤フジ (原告番号七七)<省略>
第七五 浅井洋右 (原告番号七八)<省略>
第七六 佐久間七太郎(原告番号七九)<省略>
第七七 齋藤昭二 (原告番号八〇)<省略>
第七八 浅見運吉 (原告番号八一)
第七九 浅見仁太郎 (原告番号八二)
第八〇 神田イキ (原告番号八三)<省略>
第八一 波多野キヨノ(原告番号八四)<省略>
第八二 板屋越盛雄 (原告番号八五)
第八三 山口喜代治 (原告番号八六)<省略>
第八四 杉崎力 (原告番号八七)<省略>
第八五 杉崎定美 (原告番号八八)<省略>
第八六 長谷川芳男 (原告番号八九)<省略>
第八七 江花豊栄 (原告番号九〇)<省略>
第八八 江花新寿 (原告番号九一)
第八九 斎藤一二 (原告番号九二)<省略>
第九〇 伊藤七郎 (原告番号九三)<省略>
第九一 伊藤種男 (原告番号九四)<省略>
判決
当事者、訴訟代理人及び指定代理人の表示
別紙当事者目録及び代理人目録記載のとおり
主文
一 被告昭和電工株式会社は、別紙認容額一覧表記載の原告らに対し、各原告に対応する同表の合計認容額欄記載の各金員及びこれに対する平成三年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 別紙認容額一覧表記載の原告らの被告昭和電工株式会社に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。
三 別紙請求棄却原告目録の一記載の原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。
四 別紙請求棄却原告目録の二記載の原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用の負担は次のとおりとする。
1 別紙認容額一覧表記載の原告らと被告昭和電工株式会社との間に生じた分は、これを一〇分し、その三を同被告の負担とし、その余を右原告らの負担とする。
2 別紙請求棄却原告目録の一記載の原告らと被告昭和電工株式会社との間に生じた分は、全部右原告らの負担とする。
3 原告らと被告国との間に生じた分は、全部原告らの負担とする。
六 この判決は、仮に執行することができる。ただし、被告昭和電工株式会社が別紙認容額一覧表記載の原告らに対し、各原告に対応する同表の合計認容額欄記載の各金員の二分の一に相当する金員の担保を立てたときは、右仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一編原告らの請求
一被告らは、各自、別紙当事者目録記載の原告高橋キヨシ、原告小泉友三郎及び原告渡辺ナミを除くその余の原告らに対し、各金二二〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二被告国は、原告高橋キヨシ、原告小泉友三郎及び原告渡辺ナミに対し、各金二二〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二編責任
第一章被告国について
第一争いのない事実
一水俣病とメチル水銀
1 水俣病は、魚介類の摂食を介してメチル水銀が人体内に多量に取り込まれ、これが発症閾値を越えるまで蓄積されると引き起こされる疾病であり、メチル水銀が、生物学的濃縮現象によって河川や海水中に遊泳する魚介類の体内で当該魚介類を殆ど障害せずに極めて高度に濃縮して蓄積され、これが人体に取り込まれて発症すると、人間の神経細胞を障害して感覚障害や運動失調等のいわゆるハンター・ラッセル症候群等の症状を引き起こすものである。
2 水俣病を引き起こすメチル水銀は、アセトアルデヒド製造工程において、触媒として使用した無機水銀から副生されるものであり、アセトアルデヒド合成反応中に生成され、残存する。
3 アセトアルデヒドは、メチル基とアセトアルデヒド基の結合した有機化合物であり、極めて反応性に富み、種々の物質との置換等の反応を行いやすいので、有機合成化学工業の重要な中間体とされている。そして、アセトアルデヒドの製造方法としては、旧来法であるアセトアルデヒド水和法や石油化学法であるエチレン直接酸化法などが知られているが、日本においては、日本合成化学工業株式会社が昭和三年に旧来法による製造を開始して以来、昭和三七年に三井石油化学株式会社が石油化学法による生産を開始するまでは、すべて旧来法によって行われていた。
4 水銀及びその化合物を化学的性質によって分類すれば、金属水銀、無機水銀化合物、有機水銀化合物に分けられ、メチル水銀は、エチル水銀、プロピル水銀等とともに有機水銀化合物中のアルキル水銀の一種に分類される。
二新潟水俣病に関する事実関係
1 被告昭和電工株式会社(以下「被告昭和電工」という)は、昭和三二年五月、アセチレンから水銀を触媒にしてアセトアルデヒドを製造していた昭和合成株式会社を合併して、鹿瀬工場において同様にアセトアルデヒドを製造していたが、昭和四〇年一月、その製造を中止した。被告昭和電工におけるアセトアルデヒドの生産状況は、後記第三編の第二章の第四の二の1の(一)の(1)のとおりである。
2 昭和三九年一一月、新潟大学(以下「新大」という)医学部脳神経外科に原因不明の疾病に罹患しているとして入院した患者につき、新大医学部神経内科の椿忠雄教授(以下「椿」という)らが診察した結果、有機水銀中毒症と診断し、昭和四〇年六月一二日、椿や新潟県衛生部長らが記者会見して、新潟で有機水銀中毒症患者が発生したことを正式に発表し、また、同月一六日には有機水銀中毒症の原因は阿賀野川の川魚によるものと推定されると発表した。
三熊本県水俣市を中心とする水俣病に関する事実関係
1 昭和三一年五月一日、水俣保健所は、チッソ株式会社(以下「チッソ」という)水俣工場付属病院から奇病発生の報告を受け、調査した結果、昭和二八年ころに既に同様の症状を呈する患者が発生しており、他にも多数の患者の存在が観察された。そこで、水俣保健所を中心に奇病対策委員会が設置されて検討を開始したが、原因究明が極めて困難であったため、昭和三一年八月、熊本大学(以下「熊大」という)医学部に調査研究を依頼した。同じころ熊本県も右奇病(その後「水俣病」と名付けられた)の原因究明を熊大学長に正式に依頼した。
2 依頼を受けた熊大では、「水俣病医学研究班」(以下「熊大研究班」という)を組織し、その後、臨床医学、病理学、公衆衛生学、疫学等各分野で調査研究が行われ、同年一一月三日の第一回研究報告以降研究成果が逐次報告された。
3 厚生省は、同年一一月、厚生科学研究班を組織して、水俣病の原因究明にあたり、昭和三二年一月、国立公衆衛生院において、熊大研究班等と合同発表会を開き、「現在までのところ、奇病はある種の重金属の中毒であり、金属としてはマンガンが最も疑われる。かつ、その中毒の媒介には魚介類が関係あると思われる。」との研究報告が行われ、その後も厚生科学研究班による研究報告が行われたが、病原物質及びその発生源の特定には、調査研究が必要であるとする結論であった。そして、厚生省は、水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で、昭和三四年一月一六日、食品衛生法二五条に規定する厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に、特別部会として「水俣食中毒部会」を発足させた。
4 熊大研究班は、前述のとおり重金属説を発表し、原因物質としてマンガン等の疑いを指摘していたが、その後も更に調査研究を重ね、昭和三四年三月ころ、同研究班の武内忠男教授(以下「武内」という)らが、水俣病患者を病理解剖した結果を踏まえ、水俣病の症状が有機水銀中毒にみられるハンター・ラッセル症候群の症状と一致すること、水俣病患者の解剖所見が有機水銀中毒の病理所見と類似していることを指摘したこともあって、同研究班内で有機水銀説が有力に主張されるようになった。そして、同年七月二二日、熊大医学部で開催された熊大研究班の研究報告会で、「水俣病は、現地の魚介類を摂取することによって惹起される神経系疾患であり、魚介類を汚染している毒物としては、水銀が極めて注目されるに至った。」と発表した。
5 昭和三四年一〇月六日、食品衛生調査会の合同委員会が開催され、水俣食中毒部会が水俣病の原因究明についての中間報告を行ったが、その内容は、「水俣病は臨床症状及び病理組織学的所見が有機水銀中毒に酷似し、・・・・・原因物質としては水銀が最も重要視される。しかし水俣湾底の泥土に含まれる多量の水銀が魚介類を通じて有毒化される機序は未だ明白ではない。」というものであった。
6 昭和三四年一一月一二日、食品衛生調査会は、常任委員会を開催し、水俣食中毒部会の中間報告を基に水俣食中毒の原因について同日付けで厚生大臣に対して答申を行った。答申の結論は、「水俣病は、水俣湾及びその周辺に生息する魚介類を多量に摂食することによって起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」というものであった。そして、水俣食中毒部会は、翌一三日、解散した。
7 経済企画庁(以下「経企庁」という)、厚生省、通商産業省(以下「通産省」という)及び水産庁、経企庁が中心となって、各機関がそれぞれ分担して各調査を実施し、水俣病に関する総合的調査研究を推進するため、昭和三五年一月九日、水俣病総合調査研究連絡協議会を発足させた。右協議会は、同年二月から昭和三六年三月までの間四回の会議を開いたが、同年三月六日開催の第四回の会議後は開かれなかった。
第二当事者の主張
一原告ら
原告らは、国家賠償法(以下「国賠法」という) 一条一項に基づき、以下のとおり主張する。
1 直接的加害責任
被告国は、昭和三四年一一月か遅くとも昭和三六年末までには、水俣病の原因がアセトアルデヒド製造工程において副生されたある種の有機水銀(メチル水銀)であること、アセトアルデヒド製造工場である被告昭和電工鹿瀬工場から有機水銀を含有する廃水が排出されていること、有機水銀を摂取した阿賀野川流域住民の生命、身体に危険が及ぶことをそれぞれ知りながら、アセトアルデヒドの生産を重要な産業政策として保護育成し、輸入水銀の割り当てをするなどして、被告昭和電工に対し、メチル水銀生成の原料である水銀を提供してアセトアルデヒドの生産量の飛躍的増加を支えるとともに、次のとおり、水俣病の原因究明を妨害し、もって、被告昭和電工鹿瀬工場がメチル水銀を副生させて工場外に排出させる行為に積極的に加担し、これによって、原告らに重大な健康被害を被らせたものであるから、原告らに対し、被告昭和電工とともに共同不法行為責任を負う。
(一) 厚生省は、自ら設置した食品衛生調査会の特別部会である水俣食中毒部会を解散させて水俣病の原因究明を積極的に押し進めることをしなかった。
(二) 通産省は、右食品衛生調査会の答申に根拠のない疑問を投げ掛けて企業を擁護した。
(三) 経企庁は、水俣病の原因究明機関となるはずであった水俣病総合調査研究連絡協議会を自然消滅させてなんら実効の上がる調査結果を出させないようにした。
2 先行行為に基づく作為義務違反
被告国(通産省)は、前記のとおり、アセトアルデヒドの生産を重要な産業政策として保護育成したことにより被告昭和電工等に水銀使用量の増加をもたらしたものであるが、このように自己の行為によって違法かつ危険な状態を作り出した者は、右先行行為によって生じる結果の発生を防止する法的義務を負うべき保障者的地位に立ち、被告昭和電工に対し、水銀割り当ての中止、排水処理の改善、有機水銀の工場外への排出防止、そのための法的規制をするなど、当事者的な立場において作為義務を負っているところ、その義務を果たさなかった違法がある。
3 行政指導による作為義務違反
被告国(通産省)は、昭和三四年一一月か遅くとも昭和三六年末までには、被告昭和電工鹿瀬工場の排水につき、次のとおり、行政指導を実施すべき義務があったのに、これを懈怠した違法がある。
(一) 排水調査(工場排水中に水銀及びその化合物が含まれているか否かの調査)義務。
(二) 工場廃水を工場外に排出させないように閉鎖循環方式の採用を指導すべき義務。
(三) 右の措置を採り得ないときには、工場排水の停止を指導すべき義務。
4 排水規制権限の不行使(水質二法による作為義務違反)
公共用水域の水質保全に関する法律(昭和三三年法律第一八一号。以下「水質保全法」という)及び工場排水等の規制に関する法律(昭和三三年法律第一八二号。以下「工場排水規制法」という。右水質保全法と工場排水規制法を合わせて「水質二法」という。水質二法は、いずれも同年一二月二五日公布、昭和三四年三月一五日施行、昭和四五年一二月二五日廃止された。)が施行された後、昭和三四年一一月か遅くとも昭和三六年末には、被告国(経企庁長官、内閣、通商産業大臣(以下「通産大臣」という))は、共同して一体となって、次のとおり、被告昭和電工鹿瀬工場の排水規制をする義務があったのに、これを懈怠した違法がある。
(一) 経企庁長官は、被告昭和電工鹿瀬工場より下流の阿賀野川水域を指定水域と指定し(水質保全法五条一項)、かつ、その排水から水銀又はその化合物が酸化分解法によるジチゾン比色法により検出されないことという水質基準を設定する(同条二項)。
(二) 内閣は、直ちに、被告昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造施設を特定施設と定め(工場排水規制法二条二項)、かつ、その排水規制を担当する主務大臣を通産大臣と定める(同法二一条)。
(三) 通産大臣は、直ちに、被告昭和電工鹿瀬工場に対し水銀又はその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制する(同法七条、 一四条、 一五条)。
二被告国
1 直接的加害責任について
(一) 昭和三〇年から昭和四〇年にかけて、アセトアルデヒドの生産が飛躍的に増加したが、これはアセトアルデヒドを原料として最終的に生産される合成繊維、合成樹脂、溶剤、可塑剤等の需要が急速に拡大したことによるものであり、各生産者がそのような市場環境のなかで合理的かつ自主的な経営判断に基づく経済活動によってもたらされたものであって、被告国(通産省)が増産を指示したり指導した事実はない。
(二) 水俣食中毒部会は厚生省食品衛生調査会が水俣病の原因について総合的研究を推進する目的で臨時的に設置した特別部会であり、その性質上、目的が達成されれば当然解散することになるところ、昭和三四年一一月一二日に水俣食中毒部会が食品衛生調査会に報告書を提出し、これを受けて同調査会委員長から厚生大臣に答申が行われたことから同部会が解散したものであり、これは同調査会の運用規定に基づく当然の措置であった。また、通産省が同調査会の答申に根拠のない疑問を投げ掛けたことはない。
(三) 水俣病総合調査研究連絡協議会が特にみるべき業績を残さないまま自然消滅したとみられる点については、もともと水俣病の調査研究は、原因物質の科学的追求という極めて化学的、技術的な事項の解明が要請されたため、熊大研究班の入鹿山且朗教授(以下「入鹿山」という)らの研究に委ねるのが相当であったことや、被告国の内部で調査、協議を重ねても進展がないと考えたことなどによるものである。
(四) 水俣病の原因究明にあたった熊大研究班において、昭和三四年に有機水銀説が唱えられ、チッソ水俣工場の廃水が水俣病の原因として疑われるようになったが、同年ないし昭和三六年末までの有機水銀説は、「ある種の有機水銀化合物」が水俣病の原因物質であるとする限度のものであり、それも臨床や病理像が類似しているという医学的分野からの理由づけを主体とするものであって、それ以外は未解明の疑問として依然として研究途上にあった。そして、チッソは前記有機水銀説に強く反発し、特に工場排水と水俣病の原因物質との結びつきに関する反論には当時としては容易に克服し難い問題点があって、熊大研究班の研究もこれを論破できる程には進展していなかった。
以上のとおり、被告国が水俣病の原因物質の増産を支援したり、また水俣病の原因究明に対して積極的に妨害する挙に出たような事実は全くない。
2 先行行為に基づく作為義務違反について
前記のとおり、アセトアルデヒドの増産は各企業の自主的判断によるものであり、被告国は、昭和三四年一一月ないし昭和三六年末当時、アセトアルデヒド製造工程において有機水銀が副生されることを知らなかったから、被告国が違法かつ危険な状態を作り出したものでないことは明らかである。
3 行政指導についての作為義務違反について
原告の主張する行政指導(排水調査、閉鎖循環方式の採用、排水停止)はいずれも法令上直接根拠規定のないものであり、法令に根拠のない行政指導の不作為が国賠法上違法となることは原則としてあり得ない。
また、行政指導は、行政機関が一定の行政目的を実現するために行政客体に働き掛け、その同意又は任意の協力を得て意図するところを実現しようとする事実行為であるから、右同意ないし協力なくしては行政目的の実現をはかることができない特質を有するので、行政指導の不作為と損害との間に因果関係がない。
4 水質二法による作為義務違反について
(一) 水質保全法による指定水域の指定は、水質基準の設定を同時にしなければならない(同法五条二項)ところ、水質基準の設定には、調査基本計画を事前に定めることとされている(同法四条一項)うえ、汚濁原因物質の特定とその分析定量方法の確立及び許容量の決定が必要であった。ところが、昭和三四年一一月ないし昭和三六年末においては、同法の施行後(施行日は昭和三四年三月一五日)間もない時期で、調査基本計画策定には至っていなかったし、汚濁原因物質がメチル水銀であることが特定されておらず、かつ、有機水銀化合物の分析定量方法も未だ確立されていなかった。
(二) 工場排水規制法は、水質保全法の工場排水面での施行法的性質を有するもので(同法一条)、同法による規制は、水質保全法に基づく指定水域の指定及びそれと同時になす水質基準の設定がその前提となっている。そして、規制の対象となる「特定施設」とは、製造業等の用に供する生産施設から排水される汚水又は廃液を公共用水域に排出すれば、その水域にある関係産業に相当の損害を与えもしくは公衆衛生上看過し難い影響を発生すると考えられるような施設で、政令で指定されたものをいうのである。ところで、昭和三四年ないし昭和三六年末当時には、阿賀野川水域では関係産業に相当の損害を与えもしくは公衆衛生上看過し難い影響は未だ生じていなかったので、特定施設の指定は不可能であった。
(三) 右のとおり、昭和三四年一一月か遅くとも昭和三六年末ころ、被告昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造施設を政令で特定施設と定めることも、工場排水規制法二一条に基づき通産大臣を主務大臣と定めることも不可能であり、仮に主務大臣を定めたとしても、同大臣において、同法七条等に基づく規制権限を行使する余地はなかった。
第三判断
一原告らは、国賠法一条一項に基づき、被告国に対し損害賠償の請求をするところ、同条項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国または公共団体がこれを賠償する責めに任ずることを規定するものであるから(最高裁昭和六〇年一一月二一日判決、民集三九巻七号一五一二頁参照)、したがって、公権力の行使に当たる公務員の行為が同条項の適用上違法であると評価されるためには、その公務員が損害賠償を求めている者に対して個別具体的な職務上の法的義務を負担し、かつ、当該行為が右職務上の法的義務に違反してなされた場合でなければならない。
以下、原告らが主張する被告国の行為につき、国賠法上の違法があったか否かについて判断する。
1 直接的加害責任について
(一) 原告らは、被告昭和電工がアセトアルデヒドの生産工程で有機水銀化合物を副生させて工場外へ排出させた行為に、被告国が積極的に加担したと主張するので、まず、被告国が被告昭和電工鹿瀬工場からの排水に水俣病の病原物質(メチル水銀)が含有していることを知っていたか否かについて検討する。
(二)(1) 前記のとおり、昭和三四年一一月、食品衛生調査会は水俣食中毒部会の報告を基に水俣病の主因をなすものはある種の有機水銀化合物であるとの答申をしたが、有機水銀化合物のうちの何であるかについては未解明であり、その物質の発生の機序についても触れていなかった(前記第一の三の5、6、<書証番号略>)。また、熊大研究班においても、同年七月当時、病原物質が有機水銀化合物であるとの見解が有力になりつつあったが、反対意見もあって一致した見解とはならず、同月二二日の研究報告会では「水銀が注目されるに至った」との発表が行われたにすぎなかった。そして、水銀の種類も明らかにされなかった(前記第一の三の5、6、<書証番号略>)。
(2) 有機水銀説に対し、チッソは、昭和三四年八月及び一〇月に、次のとおり、これを批判する見解を発表した(<書証番号略>)。
① チッソ水俣工場では、昭和七年以降アセトアルデヒドの合成に無機水銀の一種である硫酸水銀を、昭和二四年以降塩化ビニールの合成に無機水銀に属する塩化第二水銀をそれぞれ触媒として使用し、これらの無機水銀の一部が廃水と共に排水溝から水俣湾に流れ出ており、また、全国には水銀を触媒に使用している化学工場が他に多数あるのに、何の異変もなかったのであるから、昭和二九年ころから突然発生した水俣病は水銀とは無関係である。
② 有機水銀化合物で行った動物実験の結果が水俣病に酷似しているとしても、チッソは有機水銀化合物を排出していないので、水俣病とは無関係である。
③ 水銀剤農薬使用の影響とみるべきである。
④ 無機水銀から有毒物質が生成されるという根拠はなく、また、そのような研究結果もない。
また、東京工業大学の清浦雷作教授も、昭和三四年一一月、水俣湾及びその周辺の海水調査の結果を踏まえ、工場廃水が水俣病の原因であると断定することは妥当でない旨の発表を行った(<書証番号略>)。
(3) その後、熊大研究班の入鹿山らによって、昭和三六年九月、水俣湾産のヒバリガイモドキのなかに有機水銀が存在すること(<書証番号略>)、昭和三七年八月、チッソ水俣工場の酢酸工程の反応管から直接採取した水銀滓から有機水銀を抽出したこと(<書証番号略>)、昭和四二年六月、アセチレンに無機水銀、鉄塩、二酸化マンガン及び塩化物を加えることにより、メチル水銀化合物の生成が推知されるとの実験結果が得られたこと(<書証番号略>)、さらに、同年八月、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造設備の精溜塔廃液等からメチル水銀化合物を検出したこと(<書証番号略>)がそれぞれ発表された。このような研究成果をもとに、昭和四三年九月二六日、科学技術庁は、水俣病の原因物質はアセトアルデヒド製造工程において生成されたメチル水銀化合物であるとの見解(いわゆる政府の統一見解)を発表した(<書証番号略>)。また、チッソ水俣工場から排出される極微量のメチル水銀を含有する排水であっても、魚介類を介することによって人体に対し危険なものとなるが、このようなメチル水銀の特異性が解明されたのは、昭和四三年ころのことであった(<書証番号略>)。なお、前記の水俣病総合調査研究連絡協議会において、それぞれ専門的、技術的な調査研究が行われたが、昭和三六年末当時においても、水俣病の原因物質そのもの及び原因物質の発生原因、その生成過程についての研究成果は、昭和三四年一一月当時と変わりはなかった。
(4) 原告らは、アセトアルデヒド製造工程で触媒として使用した無機水銀からメチル水銀が副生することは、昭和三四年一一月当時、各文献に研究結果が発表されていたから、被告国において調査すれば容易に知ることができたと主張するが、右主張に係るクチェロフ論文(<書証番号略>)、フォグトとニューランド論文(<書証番号略>)、ツアンガー論文(<書証番号略>)、ケルシュ論文(<書証番号略>)、角田清明論文(<書証番号略>)は、その中に無機の触媒水銀が有機水銀化合物を生成する可能性を示唆したものがあるけれども、その化学的根拠は明確ではなく、いずれもメチル水銀が副生することを明記したものではないのみならず、もともと、水俣病の原因究明に関する研究では当時日本において最高水準にあったと思われる熊大研究班において上記の文献を含め調査研究が行われていたが、当時未だメチル水銀副生の機序が明らかではなかった状況のもとで、被告国がこれを容易に知ることができたとみることはできず、また、被告国に右各文献の精査義務があったとはいえない。
(5) 以上によれば、昭和三六年末以前には、水俣病の原因物質並びにその発生及び生成過程は明らかではなかったので、被告国はこれらを知ることはできなかったものと認められ、したがって、被告昭和電工の水俣病原因物質の排出に加担したとみる余地はないものといわざるを得ない。仮に何らかの関与があったと仮定しても、原告ら主張にかかる被告国の行為が、それ自体違法な加担行為と評価され得るものでないことは明らかである。
(三) その他、被告国において被告昭和電工鹿瀬工場からメチル水銀が工場外へ排出することを容認しこれに加担したと認めるに足りる証拠はないので、原告らの右主張は、その余の点を検討するまでもなく理由がない。
2 先行行為に基づく作為義務違反
(一) 原告らは、被告国(通産省)は、有機合成化学工業の保護育成政策を推進し、アセトアルデヒドの製造を拡大させるなど自ら違法かつ危険な状態を作り出した者として、これによって生じる結果の発生を防止する法的義務があると主張する。この点については、被告国も化学工業の保護育成のための産業政策を遂行していたこと自体は特に争ってはいないが、前記のとおり、被告国が被告昭和電工鹿瀬工場からメチル水銀が排出されることについて容認、加担したと認めることはできず、また、被告国が製造企業に対しアセトアルデヒドの増産等を具体的に指示していたと認めるに足りる証拠はない本件においては、被告国が化学工業の保護育成政策遂行の当否につき国民全体に対する関係で政治的責任を負うかどうかはともかく、そのような政策を遂行したことについて、加害当事者として特定個人に対して損害賠償責任を負うことはなく、また、特定個人に対して結果発生防止義務を負担することはないというべきであって、被告国に原告ら主張の作為義務があると認めることはできない。
(二) したがって、被告国が違法かつ危険な状態を作り出したことを前提とする作為義務違反の主張は理由がない。
3 行政指導による作為義務違反
(一) 原告らは、被告国(通産省)が排水規制を行政指導によって実施すべき義務を懈怠した違法があるとし、その具体的内容として、①排水調査義務、②閉鎖循環方式の採用の指導義務、③排水停止の指導義務をあげているが、それぞれの作為義務について、工場排水規制法一五条以外には法令上の根拠に関する主張はなく、また、行政指導を義務づけた規定はない。
(二) 工場排水規制法一五条は、「主務大臣は、公共用水域の水質の保全を図るため必要な限度において、特定施設を設置している者に対し、その特定施設の状況、汚水などの処理の方法又は工場排水等の水質に関し報告させることができる」と規定する。したがって、同条が政令(工場排水規制法施行令)で特定施設の指定がされることを前提として、その施設の設置者から一定の報告を徴する権限を定めたものであることが規定自体から明らかであるところ、昭和三四年一一月ないし昭和三六年末当時、被告昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造施設が右政令で特定施設と指定されていなかった(この事実は当事者間に争いがない)から、被告昭和電工から同条による報告を徴することはできなかったし、また、特定施設の指定がされていない施設の設置者からも報告を徴し得るとの解釈の成立する余地はなく、ましてや、同条が排水規制のための行政指導をし得る権限あるいは義務のあることを定めたものということのできないことは明白である。
(三) そうすると、原告らの主張する作為義務はすべて直接の法令上の根拠に基づかないものというほかはない。
(1) ところで、直接の法令上の根拠に基づかない行政指導は、各省設置法等の組織規範に基づく行政指導と解されているが、このような行政指導は、行政指導を行う主体、客体、行政指導の内容、方法等についての規定がなく、行政指導をするかどうか、いつ、どのような内容と方法で行うかは、本来、当該行政機関の政治的、技術的裁量に委ねられているというべきであり、極めて例外的に、国民の生命、身体、財産に対する差し迫った重大な危険状態が発生し、行政機関が超法規的にその危険の排除にあたらなければ国民に保護が与えられないような場合には、条理によって、適切な行政指導をすべき義務が生じる場合があることも否定できないが、原則として、右行政指導を実施することが公務員の職務上の法的義務となることはないというべきである。
(2) そして、行政指導は、その性質上、行政機関が行政目的を達成するための法的拘束力のない非権力的、任意的な行政上の措置であり、専ら相手方の任意の同意又は協力を得てその意図するところを実現しようとするもので、同意ないし協力なくしては行政目的の実現を図ることができない特質がある。したがって、行政指導が行われたならば相手方がこれに従い、そうすれば損害が発生しなかったという関係がなければ、行政指導の不作為と損害との因果関係が認められないことになる。
(3) そこで検討するに、新潟において有機水銀中毒の発生が正式に発表されたのは昭和四〇年六月一二日であり、昭和三六年末当時は、未だ新潟県において水俣病患者が発生したとの報告はなく、前記第三の一の1の(二)記載の被告国の水俣病に関する知見及び企業側の対応状況からして、被告国が被告昭和電工に対し排水規制のための行政指導をする合理的根拠がなく、被告昭和電工もこれを受け入れる余地はなかったものと推認されるので、したがって、同年末に、被告国が被告昭和電工に対し、原告主張のような排水規制に関する行政指導をすべき義務があったということはできないし、仮に何らかの行政指導をすべき義務の懈怠があったとしても、その不作為と損害との間の因果関係は認め難い。
4 水質二法による規制権限の不行使について
(一) 水質二法と規制権限の存否
(1) 水質保全法は、法の目的として、「公共用水域の水質の保全を図り、あわせて水質の汚濁に関する紛争の解決に資するため、これに必要な基本的事項を定め、もって産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与すること」(同法一条)を掲げ、水質の保全を図るため、「経企庁長官は、公共用水域のうち、当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれのあるものを、水域を限って、指定水域として指定する」(同法五条一項)と定め、さらに「経企庁長官は、指定水域を指定するときは、当該指定水域に係る水質基準を定めなければならない」(同条二項)と定め、指定水域の指定と水質基準の設定を同時にしなければならないものとしている。そして、水質基準とは、工場、事業場、公共下水道、都市下水路等から同法五条一項に規定する指定水域に排出される水の汚濁の許容限度をいうが(同法三条二項)、右水質基準は、同法五条一項の規定の要件となった事実を除去し又は防止するために必要な限度をこえないものでなければならないとされている(同条三項)。
(2) 工場排水規制法は、製造業等の用に供する施設のうち汚水又は廃液を排出するものであって政令で定めるものを「特定施設」とし(同法二条二項)、「特定施設を設置している者は、その特定施設から排出される汚水等の処理を適切にし、公共用水域の水質の保全に心掛けなければならない」(同法三条)と定め、「主務大臣は、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは、その工場排水等を指定水域に排出する者に対し、期限を定めて、汚水等の処理の方法の改善、、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置をとるべきことを命ずることができる」(同法一二条)と定めている。したがって、同法による規制は、特定施設を設置する工場、事業場等が指定水域に汚水又は廃液を排出する場合に限られ、かつ、水質保全法に基づく指定水域の指定及びそれと同時になされる水質基準の設定がその前提となっている。
(3) 経企庁長官の義務
経企庁長官は、前記のとおり、その水域に適用される水質基準を定めて指定水域を指定し(水質保全法五条二項)、水質保全のための具体的な規制をとり得るが、指定水域の指定には、関係産業に相当の損害の発生又はそのおそれがあること、公衆衛生上看過し難い影響の発生又はそのおそれがあることが要件となっている(同条一項)。したがって、指定水域の指定の前提となる水質基準の設定には、当該汚濁原因物質がどこから排出され、これがどれだけ公共用水域に排出されたら右の影響が生じるのかが判明していなければならず、排出される汚濁原因物質が何であるかの特定とその汚濁原因物質の検出及び定量の方法が確定していることが必要であり、これによってはじめて許容限度(許容量)が決定されることになる。なお、右規定は、同法が産業の相互協和を目的としていること(同法一条)及び水質基準により指定の要件となった事実を除去し又は防止するため必要な程度をこえないものでなければならないとしていること(同法五条三項)と相まって、公共用水域に廃棄物の受入れの機能を全く否定するものではなく、社会通念上相当と認められる程度の除去又は防止で満足せざるを得ないのであり、何らかの異常や影響ないしそのおそれがあれば、直ちに指定水域の指定をしなければならないと定められたものでないことは明らかである。
(4) 汚濁原因物質の特定
前記第三の一の1の(二)記載のとおり、昭和三六年末以前には、水俣病の原因物質及びその発生、生成過程は明らかではなかったし、有機水銀化合物(メチル水銀)が被告昭和電工鹿瀬工場から排出されていたことは確定していなかった。
(5) 水銀の定量分析法
① 昭和三四年当時の総水銀の定量分析技術としては、無機(金属)水銀を分析対象とする発光分析法、水溶状態(イオン化)にした水銀を分析対象とするジチゾン比色法があったが、発光分析法では排水中に含まれる微量の水銀化合物の定量はできなかった。ジチゾン比色法は、ある特定の条件下(酸性)で、特定の金属とジチゾン(有機試薬)が結合した化合物の呈する色の強弱を比色計で計り、その金属の定性、定量を行うものであり、あらかじめ試料に熱を加えて酸化分解すれば、有機又は無機の金属化合物が分解されて金属が単離するので、含まれているすべての金属を分析できる。したがって、試料を酸化分解しジチゾン比色法を用いることにより、総水銀としての定量分析ができる。しかし、通常の操作では試料五〇〇ミリリットル当たり0.01ppmが定量限界であり、有機水銀のみの分析はできなかった。(<書証番号略>)
② 同時期における有機水銀の分析技術としては、赤外線吸収スペクトル法及びペーパークロマトグラフ法があったが、いずれも微量の有機水銀の定量分析に使用できるものではなかった。その後、昭和三六年ころ、ガスクロマトグラフ法が導入されたが、その検出感度は極めて低く、排水中の微量のメチル水銀の定量分析は不可能であった。排水中の微量のメチル水銀の測定が可能になったのは、昭和四一年五月に神戸大学の喜田村正次教授(以下「喜田村」という)らによって開発されたガスクロマトグラフ装置の検出器に電子捕獲型検出器を使う方法によるものであり、これによれば約0.001ppmの微量のメチル水銀を測定することが可能になった。しかし、放射能性のものであったため一般に実用化されたのは昭和四三年ころになってからであった。昭和四三年七月、ガスクロマトグラフ法と、同じく昭和四〇年代に入ってから開発された薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法とが有機水銀の分析方法として確立し、メチル水銀含有量の水質基準の検定方法に指定された。(<書証番号略>)なお、工業技術院東京工業試験所は、昭和三四年ころ、廃水中の総水銀を酸化分解ジチゾン比色法により分析し、その適用下限濃度を0.001ppmまで測定した旨のデータを出しており、(<書証番号略>)、また、チッソ水俣工場技術部も自ら分析調査をしているが(<書証番号略>)、いずれもメチル水銀を分析定量したものではない(<書証番号略>)。
③ 以上のように、昭和四一年に入るまでは、工場排水中に含まれる微量のメチル水銀等の有機水銀を定量分析することはできなかった。
(二) 原告らは、昭和三四年一一月か遅くとも昭和三六年末には、①経企庁長官は、被告昭和電工鹿瀬工場より下流の阿賀野川水域を指定水域と指定し(水質保全法五条一項)、かつ、その排水から水銀又はその化合物がジチゾン比色法により検出されないことという水質基準を設定し(同条二項)、②内閣は、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造施設を特定施設と定め(工場排水規制法二条二項)、かつその排水規制を担当する主務大臣を通産大臣と定め(同法二二条)、③通産大臣は、鹿瀬工場に対し水銀又はその化合物を含有する廃水を工場外に排出させないよう規制すべきであった(同法七条、 一四条、 一五条)と主張する。
しかしながら、前述のとおり、水質保全法五条二項に基づく水質基準を設定するためには、①汚濁原因物質が特定されていること、②右汚濁原因物質が工場から排出されていることが解明されていること、③右汚濁原因物質の分析定量方法が確立されていること、④右汚濁原因物質につき、水域指定の要件となった事実を除去し、又は防止するのに必要な程度を超えない許容量を決定すること、の各要件が充足されなければならないところ、昭和三四年一一月の段階において、まず、①については、被告国は厚生省食品衛生調査会の答申にあるとおり、ある種の有機水銀化合物が水俣病の原因物質であるとの知見を有していたが、その原因物質の発生原因や生成過程については未解明であったから、汚濁原因物質が特定されていたとはいえなかった、②については、アセトアルデヒド製造工程においてメチル水銀が副生される機序が未解明であったから、チッソ水俣工場及び被告昭和電工鹿瀬工場から汚濁原因物質であるメチル水銀が排出されていたことは明らかではなかった、③については、有機水銀化合物についての分析定量方法は確立されていなかった、④については、仮に総水銀についての分析定量により許容量(水質基準)を決定したとすれば、もともと無機水銀化合物は水俣病の原因物質ではないのであるから、原因物質ではない無機水銀の排出を規制することになり、「除去又は防止するのに必要な程度を」超えて許容量を決定することになりかねないことになり、そして、右の各事情は昭和三六年末の段階においても何ら変わっていなかったのであるから、その当時、被告国(経企庁長官)は、被告昭和電工鹿瀬工場に対し水質保全法を適用して、阿賀野川水域について水質基準を設定し、右水域を指定水域として指定することはできなかったことが明らかである。そして、右のとおり、汚濁原因物質が排出されていることが明らかでなかった状況のもとにあっては、内閣が、工場排水規制法を適用して、被告昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工場を特定施設(同法二条二項)と定め、同工場の施設の排水規制を担当する主務大臣を指定(同法二一条)して、通産大臣による同工場に対する排水規制をすることもできなかったものといわざるを得ない。ましてや、その当時、阿賀野川水域において水俣病患者の発生は報告されていなかったのであるから、被告昭和電工の廃水に関し、被告国に排水規制をする義務があったということはできない。
(三) そうであるならば、被告国(経企庁長官ら)には、原告らの主張するような作為義務があったということはできず、結局、水質二法による規制権限の不行使をもって国賠法上の違法があったということはできない。
二結論
以上のとおり、国賠法一条一項に基づく被告国に対する原告らの本訴請求はいずれも理由がない。
第二章被告昭和電工について
新潟水俣病の発生につき、被告昭和電工が鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を阿賀野川に排出した行為に過失があることを、被告昭和電工において明らかに争っていないので、これを自白したものとみなす。
第三編水俣病の病像
第一章事案の概要
第一新潟水俣病の意義
新潟水俣病は、被告昭和電工が鹿瀬工場において水銀化合物を触媒としてアセトアルデヒドを製造し、右製造工程中に生成したメチル水銀化合物を含む工場廃水を阿賀野川に排出した結果、阿賀野川に棲息する魚介類を汚染し、右魚介類の体内に濃縮したメチル水銀化合物が蓄積し、さらに、流域住民等が右魚介類(特に川魚)を喫食することにより、人体内にメチル水銀化合物が蓄積して罹患する有機水銀中毒症である(争いがない)。
第二水俣病の神経症候
一水俣病の一般的な神経症候
水俣病にみられる一般的な神経症候は、感覚障害、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、言語障害、筋力低下、振せん、眼球運動異常、聴力障害、味覚障害、嗅覚障害、精神症状などである(争いがない)。
二水俣病の主要神経症候
水俣病の主要神経症候は、以下のような、感覚障害、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、言語障害、聴力障害などである(争いのない事実、<書証番号略>)。
1 感覚障害(知覚障害)
水俣病の感覚障害は、左右の四肢末端部(四肢末梢程強い)において表在感覚(触覚、痛覚等)の鈍麻(低下)が認められることに特徴がある。このような特徴をとらえて、水俣病における感覚障害は、手袋靴下型の感覚障害、四肢遠位部優位の感覚障害、あるいは、四肢末梢性感覚障害であるといわれている。口周囲における表在感覚の鈍麻(口周囲感覚障害)も水俣病に特徴的な感覚障害である。大部分の症例が四肢末梢部や口周囲、口唇、舌のしびれ感によって感覚の異常を自覚する。四肢末梢性感覚障害や口周囲感覚障害の存在は、筆等による触覚検査、針等による痛覚検査などによって他覚的にとらえることができる。
他に、外踝部等における振動覚の低下なども水俣病患者に多く認められる感覚障害である。
2 運動失調(協調運動障害)
水俣病における運動失調は、主として小脳性運動失調で、その態様から協調運動障害と平衡機能障害とに分けられる。協調運動障害は上下肢の随意運動が円滑に行えない状態であって、指鼻試験、膝踵試験、交互変換試験(ジアドコキネーシス)などによって他覚的所見を得ることができる。
3 平衡機能障害
平衡機能障害とは身体の平衡機能に異常がみられることであって、神経内科においては、ロンベルグ試験、マン試験、片足立ち試験などによって他覚的所見を得ている。神経耳科においては、さらに眼球運動を指標とする検査(視標追跡検査)、眼振を指標とする検査(自発眼振検査、視運動性眼振検査、前庭反応検査等)などを行って他覚的所見を得ている。
4 求心性視野狭窄
水俣病における求心性視野狭窄とは、周辺部の視野の広さが狭くなる症状であり、両眼に同程度に生じるのが特徴であるが、一般に中心視力は比較的よく保たれる。軽いものは自覚されないことが多く、ゴールドマン視野計による検査、視覚誘発電位(VER)による検査が有効であるとされている。
5 言語障害
水俣病における言語障害は、主として小脳性の構音障害によるもので、早口で喋れず、不明瞭で断節性、いくぶん甘えたような感じの言語がみられる。自覚的に舌がもつれるという訴えをもつ人でも、他覚的にはとらえられない場合も多い。
6 聴力障害
水俣病における聴力障害は、主として中枢性難聴(後迷路性難聴)であると考えられている。純音聴力より語音聴力の低下が著しい。水俣病患者の訴えでも電話が不便になった、人と話していると音は聞こえても意味がわからないといった訴えが多い。
第三争点
本件訴訟の水俣病の病像に関する争点は、原告らが水俣病に罹患していると認められるか否かである。すなわち、被告らは、原告らが水俣病の主要神経症候の全てないしほとんどを具備したいわゆる典型的な水俣病患者ではないことから、水俣病発症の機序あるいは被告ら主張の診断基準に照らして原告らが水俣病患者であるとは認め難い旨を主張している。
したがって、主要な争点として以下の各点を検討しなければならない。
1 水俣病の発症機序について
2 臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病の存在について
3 水俣病罹患の有無の判断について
4 疫学条件について
5 原告らの水俣病罹患の有無について
第二章争点に対する判断
第一水俣病の発症機序について
一人体におけるメチル水銀の発症閾値について
1 人体におけるメチル水銀の発症閾値、すなわち、中毒症の症状を惹起するに至るメチル水銀の体内蓄積量について、証拠(<書証番号略>)によれば、体重が約五〇キログラムないし七〇キログラムの成人における発症閾値は、二五ミリグラムないし三〇ミリグラムであると認めることができる。すなわち、右証拠によれば、スウェーデンの専門家会議は新潟水俣病のデータに基づいて体重七〇キログラムの人で三〇ミリグラムの蓄積量によって感覚障害が発症し得るとし、また、イラクのバキル(Bakir)らはイラクの消毒小麦によるメチル水銀中毒事件についての研究から体重五一キログラムの人で二五ミリグラムの蓄積量によって感覚障害が発症し得るとしていることが認められる。
2 この点につき、証人滝澤行雄は、人体に一〇〇ミリグラム蓄積しなければ水俣病の発症はあり得ない旨の証言をしており、被告らの主張も右証言と同旨であると解されるので、右証言について検討する。
証人滝澤は、右証言の根拠の一つに、喜田村の研究結果(<書証番号略>)をあげている。しかし、喜田村の右研究は、熊本及び新潟における水俣病の主要神経症候がそろった典型的亜急性患者について、一〇〇ミリグラムの蓄積量を有毒レベルとするものであり、右研究報告書は続けて、感受性の高い人における最大無作用レベルは、体重五〇キログラムの人で蓄積量一〇ミリグラムであるとしている。すなわち、喜田村の研究は、人体に一〇〇ミリグラム蓄積しなければ水俣病の発症はあり得ないとするものではない。
また、証人滝澤は、前記証言の根拠について、WHOの要請を受けて国立衛生試験所の行ったサルにおける塩化メチル水銀の長期毒性に関する研究(<書証番号略>)を挙げている。右の国立衛生試験所の研究は、サルに毎日体重一キログラム当たり0.03ミリグラムのメチル水銀を経口投与することを五二か月間継続したが中毒徴候があらわれなかったとするもので、喜田村は、右の国立衛生試験所の研究について、体重五〇キログラムの人に換算すると、体内蓄積量が約一三〇ミリグラムとなると指摘する(<書証番号略>)。しかし、右の国立衛生試験所の研究は、右のサルについて、病理解剖所見上も中毒による変化は認められなかったとしているが、他方、同じくサルに毎日体重一キログラム当たり0.03ミリグラムのメチル水銀を投与した実験で、電子顕微鏡所見では神経細胞に著明な変化を認めた旨の研究報告も存在するのであり(<書証番号略>)、前掲のスウェーデンの専門家会議やイラクのバキルらの人体についての発症閾値の研究例が存在することをも考え併せれば、右の国立衛生試験所の研究に基づいて、直ちに人体についても一〇〇ミリグラム蓄積しなければ水俣病の発症はあり得ないと帰結することは適切ではない。
そして、他にメチル水銀の発症閾値を一〇〇ミリグラムとするのが合理的であると解すべき証拠はなく、この点について、証人滝澤自身、かつて、水俣湾沿岸や阿賀野川流域で経験された不全型の水俣病と認定される患者の中には、水銀蓄積量が三〇ないし一〇〇ミリグラムの範囲の者も存するとも理解される旨述べている(<書証番号略>)のであって、この点についての同証人の前記証言を採ることはできない。
二メチル水銀の生物学的半減期
1 メチル水銀の生物学的半減期、すなわち、体内に吸収されたメチル水銀の体内残存量が半分に減少するまでの期間については、証拠(<書証番号略>)によれば、平均約七〇日程度であると認めることができる。すなわち、右証拠によれば、スウェーデンのアーベルグ(Aberg)らは、三人の被験者による実験結果に基づいてメチル水銀の生物学的半減期を平均約七〇日であるとし、さらに、ミーチネン(Miettinen)らは、男子一〇人女子六人の計一六人の被験者による実験結果に基づいて、半減期は平均七六日であるとしていることが認められる。
2 また、証拠(<書証番号略>)によれば、脳におけるメチル水銀の生物学的半減期は他の臓器よりも長く、全身からのそれより長期間であることが認められる。すなわち、右証拠によれば、熊大の武内らは、多くの水俣病剖検例の臓器別水銀値を測定した上、水銀値について、急性発症例と慢性例ないし長期経過例とでは、肝対脳、腎対脳の百分比に著しい差があり、肝及び腎を一〇〇とした場合に、急性例では脳は一〇ないし二〇内外であるのに、慢性経過例では脳は五〇ないし一〇〇あるいはそれ以上になるとし、この結果などから、人体剖検例からみるかぎり脳の水銀蓄積は、肝及び腎よりはるかに低いが、その減衰のしかたは肝及び腎より緩徐であって、脳に比較的遺残しやすく、生物学的半減期は全身からのそれより長期間である旨の結論を導いていることが認められる。
三遅発性水俣病について
1 証拠(<書証番号略>)によれば、遅発性水俣病の存在すること、すなわち、新潟水俣病発生の昭和四〇年当時は全く自覚、他覚症状がなかったか、あるいは全身倦怠感、頭痛、めまい、筋痛、関節痛などの訴えのみで他覚的所見がなかったが、新たなメチル水銀の侵入がないにも拘らず、数年の経過で他覚的にとらえられる水俣病症状が明らかになった症例が存在すること、そして、その発症機序について、組織内に長期間残留する水銀が遅発性水俣病発症の重要な因子で、これによる緩徐な進行性の病変が遅発性水俣病という特定な発症様式をとった可能性があることが認められる。すなわち、右証拠によれば、新大の白川健一(以下「白川」という)は、新潟水俣病発生早期(昭和四〇年ないし四一年)に神経内科で診察して神経学的に十分検討し、水俣病の他覚症状は認められないと判断した者に、再受診をすすめて昭和四七年ないし四八年に診察を行ったところ、心因性あるいは他の疾患によるものでないことを十分鑑別した上、水俣病の主要神経症候が高率に認められるようになったとしていること、また、昭和四〇年当時毛髪水銀値が二〇〇ppm以上であった者について、詳細に経過を追跡し、昭和四〇年から昭和四七年の間に徐々に水俣病の主要神経症候がそろってきたとしていることが認められる。
2 これに対し、被告らは、一般に、中毒症状というものは、中毒物質を体内に取り込み、その蓄積量が発症閾値を越えた場合に、その時点において発現するものであり、逆に取り込みが終了し、毒物が生体から排泄されるにつれて症状は徐々に固定若しくは軽快するものと解され、このことはメチル水銀中毒症である水俣病においても同様であるとして、遅発性水俣病の存在を否定し、白川の右研究について、①同一人について、白川が発病時期とした時期と、椿が作成した診断書(以下「椿診断書」という)において発病時期とされた時期とが齟齬していることから、遅発症状とみられた症状も、当初から発現していたものである可能性がある、②当初に症状の見落しがあったことが疑われる、③心因性あるいは他の疾患による症状を水俣病と誤診している可能性があるなどの主張をしている。
まず、右①の点については、被告らが、椿診断書における発病時期との齟齬を指摘しているのは近彦一の例であるが、椿診断書(<書証番号略>)には、昭和四〇年九月の新大医学部神経内科の診断の際には異常所見が認められなかったが、昭和四一年一月ころより一過性に手掌部、足部にピリピリするしびれ感が現れ、昭和四五年三月には神経学的に四肢末梢部の知覚低下と上肢の振せんが認められ、眼科的検査で両側の求心性視野狭窄が指摘された旨が記載されている。これは、白川のいう昭和四〇年当時は他覚的所見がなかったが、数年の経過で他覚的にとらえられる水俣病症状が明らかになったものに該当する例であって、白川の報告と椿診断書の間に齟齬は存しない。また、被告らは、椿診断書によれば、白川が遅発性水俣病の例として挙げている者の発病時期は昭和四〇年ないし昭和四一年とされている旨を主張しているが、証拠(<書証番号略>)によれば、椿は自覚症状が出現した時期をもって発病時期として記載していることが認められ、椿の記載した発病時期に必ずしも他覚的所見が認められているのではないことが推認できる。したがって、このような例を症状の遅発憎悪例として遅発性水俣病であるとした白川の報告に椿診断書との齟齬は存しない。次に、右②の点については、1記載のとおり白川は当初の診察から神経学的に十分検討された患者について遅発性水俣病の発症が認められたとしていること、証拠(<書証番号略>)によれば、特に、毛髪水銀値二〇〇ppm以上の水銀保有者は、当初、昭和四〇年に新大医学部神経内科に入院して診察を受けたにも拘らず、他覚的所見が把握できなかったとされていることに鑑みると、白川らの当初の診察に症状の見落しがあったとは解されない。さらに、右③の点については、1記載のとおり白川は後に認められるようになった他覚的症状が心因性あるいは他の疾患によるものでないことを十分鑑別していることが認められる。
以上から、被告らの右主張を採用することはできない。
第二臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病の存在について
一主要神経症候が感覚障害のみである水俣病の存在について
1 感覚障害のみが出現する可能性について
(一) 証拠(<書証番号略>)によれば、イラクのバキルらはイラクの消毒小麦によるメチル水銀中毒事件に関する研究において、血中メチル水銀濃度からメチル水銀の体内蓄積量を推定した上、体内蓄積量と各種神経症候の出現する発症閾値との関係を検討し、体重五一キログラムの人で、感覚障害(知覚異常)二五ミリグラム、歩行障害五五ミリグラム、構音障害九〇ミリグラム、聴覚消失一七〇ミリグラム、死亡二〇〇ミリグラムの体内蓄積量をもって各種神経症候の出現する発症閾値であるとしていることか認められる。
右の研究から、種々の神経症候が出現するに至るメチル水銀の体内蓄積量の中で、感覚障害が出現するメチル水銀の体内蓄積量が最も低く、メチル水銀の体内蓄積量が少量である場合には、感覚障害のみが出現する可能性があると解される。
(二) 被告らは、右のバキルらの研究について、同じイラクのメチル水銀中毒事件に関するラスタム(Rus-tam)らの研究(<書証番号略>)によれば、むしろ血中水銀濃度の高かった例に感覚障害が認められており、中毒の重症度と血液中水銀レベルの間には相関関係がないと主張している。
しかし、右のラスタムらの研究は、感覚障害を血液中水銀濃度の低い例にも認めており、バキルらの研究を積極的に否定するものではない。
なお、被告らは、バキルらの研究は理論的な可能性を示唆しているに止まり、現実に感覚障害のみの患者が存したとしているわけではない旨を主張しているが、右研究の臨床症状の項には、症状の程度は摂取量に比例し、パンを短期間食べた人は知覚異常だけを示した旨の記載があり、単なる理論的可能性にとどまらず、現実に感覚障害のみの患者が存したこともまた認められる。
2 感覚障害のみが残存する可能性について
証拠(<書証番号略>)によれば、白川らは、新潟県知事及び新潟市長が水俣病と認定した患者(以下「水俣病認定患者」という)を、昭和五二年ないし五三年(第Ⅰ期)とその五年後の昭和五七年ないし五八年(第Ⅱ期)に二回以上診察し、その神経学的所見について、第Ⅰ期診察時陽性だった項目が第Ⅱ期診察時陰性になった症例数を調査した結果、各種の神経学的所見の消失例のうち、多発性末梢神経障害の所見の消失例が最も少なかった旨を報告していることが認められる。また、証拠(<書証番号略>)によれば、白川は、一〇余年にわたり経過を追跡している水俣病患者のうち、昭和五五年ないし五七年に診察をした三四八例について臨床経過を検討した結果、協調運動障害が認められなくなった症例が一三二例あったのに対し、感覚障害については、部位が以前四肢に認められていたのが両下肢のみになったり、程度の改善がみられたりしたにとどまっている旨の報告をしていることが認められる。
右から、感覚障害は他の主要神経症候と比較して消失し難いものであると解され、したがって、感覚障害を残して他の主要神経症候は軽快消失して臨床所見として把握できなくなる場合があり、この結果、臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病が存在することもあると解される。
3 実際例について
(一) 証拠(<書証番号略>)によれば、新潟水俣病発生当初に、入院精査され、神経学専門医により十分に検討されて他の疾患が否定された上で、有機水銀中毒症であると診断された患者二六名(以下「初期患者二六名」という)のうち、三名は、臨床所見として把握された神経症候が感覚障害のみであることが認められる。
(二) 右の点につき、被告らは、①初期患者二六名は、椿らが最初から診断基準を設定せず、疑わしい者は広く拾い上げ、その中から共通の症状を持つ者を選び出していた時代の症例であり、確実に水俣病と診断できる症例というわけではない、②初期患者二六名のうち、明白な所見が感覚障害のみであった患者も、そのうちの三分の二の者は、その後昭和四六年一月ころまでに感覚障害に加えてその他の神経症候が明白に出現しているのであって、感覚障害のみの水俣病の存在が認められたといってみたところで、それは当初だけの現象であり、数年もたてば典型的な水俣病症状を具備するに至っているのであるから、現在においても感覚障害だけの症例を水俣病と認めることはできない旨を主張している。
まず、右①の点については、前記のとおり初期患者二六名は、全例入院精査され、神経学専門医により十分に検討されて他の疾患が否定された上で、有機水銀中毒症であると診断されたものであり、さらに、証拠(<書証番号略>)によれば、椿は、現在までのメチル水銀中毒の研究に照らしても、初期患者二六名は水俣病罹患の可能性を強く肯認できるとしていることが認められ、この点についての被告らの批判は当らない。次に、右②の点については、被告らの主張自体、その後も明白な所見が感覚障害のみであった者の存在を認めており、臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病患者の実際例の存在を否定するものではない。
4 小結
以上から、水俣病において、発症閾値の関係から主要神経症候のうち感覚障害のみが出現する可能性もあり、また、感覚障害のみが残存する可能性もあり、そして、実際に初期の水俣病患者の中に臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである者が存在したことが認められるのであるから、臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病が存在するというべきである。
二被告らの主張について
被告らは、証人生田房弘の証言に基づいて、水俣病においては、病理解剖の結果、大脳における病変は、中心前回、中心後回、鳥距野、横回に局在し(以下「大脳好発部位」という)、この大脳好発部位の病変に加えて、小脳の病変及び末梢の感覚神経の病変の三つが存在することが特徴的な病理所見であり、この三部位の病変は水俣病に必須のものであるとして、そうであるならば、右の三部位の病変に起因した(視覚、聴覚、感覚、運動上の)症状が、臨床上の症状として現れるのが必然であり、感覚障害のみを呈する水俣病は存在しない旨を主張する。
しかしながら、証人生田は、病理解剖の結果、大脳好発部位、小脳及び末梢の感覚神経に病変が認められることが特徴的な病理所見であり、右三部位の病変が水俣病に必須の所見である旨を証言するにとどまり、右三部位の病変に起因した症状が、臨床上の症状として現れるのが必然である旨までも証言しているものではない。そして、証拠(<書証番号略>、証人生田)によれば、病理所見上病変がみられても臨床症状が認められていない場合があること、右の三部位は等しく侵されるのではなく、部位によって病変に強弱があること、病理解剖によって認められる病変は臨床症状の発症よりも前に起っていること、どのくらいの病変があったら症状がどのくらい出るかということはまだわかっておらず、軽い病変の場合に症状が出ない可能性があることが認められる。また、証拠(<書証番号略>)によれば、臨床症状からは水俣病とは認められないとして水俣病の認定申請が棄却された者の中にも病理解剖によって水俣病所見が認められるとされた者も存在することが認められる。さらに、証拠(<書証番号略>)によれば、サルに微量のメチル水銀を長期投与した実験において、臨床上中毒症状が認められなかったにも拘らず、病理解剖の結果、電子顕微鏡所見では神経細胞に著明な変化をきたしていたことが認められる。以上の認定事実に鑑みると、病理解剖によって病変が認められる場合にもその病変に起因した症状が臨床上の症状として必ず現れるとは解されず、右三部位の病変が水俣病に必須の病理上の所見であることをもって、臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病の存在を否定する理由とはならない。よって、被告らの右主張を採用することはできない。
さらに、被告らは、水俣病において、病理解剖によって認められる病変は、大脳及び小脳の中枢神経の病変が優位であって、末梢神経の病変は比較的軽度であることから、臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病は存在しない旨を主張している。
しかしながら、証拠(<書証番号略>)によれば、軽症の水俣病患者の場合には、中枢神経の病変よりも末梢神経の病変が優位であることが認められる。したがって、軽症の水俣病患者の場合には、そもそも被告らの右主張はその前提を欠くこととなり、支持し得ない。また、証拠(<書証番号略>)によれば、水俣病患者の四肢末梢性感覚障害を生じさせている責任病巣が中枢神経に存在する場合もあることが認められる。したがって、末梢神経の病変よりも中枢神経の病変が優位である場合にも、感覚障害が中枢神経障害に基づく所見として臨床上把握されることがあると解され、末梢神経の病変よりも大脳及び小脳の中枢神経の病変の方が優位であることは、臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである水俣病の存在を否定する理由とはならない。したがって、被告らの右主張を採用することはできない。
第三水俣病罹患の有無の判断について
一水俣病罹患の有無の判断について
前記のとおり、水俣病に罹患しながらも臨床所見として把握できる主要神経症候が感覚障害のみである場合が存在する。そして、水俣病の症状としての感覚障害は、四肢末梢性感覚障害であることに、その特徴が存することは当事者間に争いがない。そこで、四肢末梢性感覚障害が存在する原告について、疫学条件が高度である(後記第四の一)と認められ、かつ、四肢末梢性感覚障害について、罹患の可能性が指摘される他の疾患によるものでないことの鑑別ができる場合、あるいは、罹患の可能性が指摘される他の疾患によるものである可能性が極めて低い場合には、その感覚障害は水俣病によるものと推認できる。
二四肢末梢性感覚障害を生じさせる他の疾患との鑑別について
1 頸椎症性脊髄症との鑑別について
(一) 変形性脊椎症一般について
変形性脊椎症とは、脊椎の老化によってもたらされる消耗性疾患の一つで、脊椎骨、椎間板及び周囲の軟部支持組織における一連の変形性変化であり、退行性変化及び増殖性変化があり、臨床上認められる所見としての代表的な変化は、脊椎湾曲異常や変形、そして、前方及び側方の椎体縁における嘴状の骨堤隆起(骨棘)である(<書証番号略>)。脊椎の変形性変化は、一定年齢に達すれば、ほとんど全ての人に生ずるといえるほど高率にみられるものであるが、臨床上神経症状を呈することは少なく、X線検査により変形性脊椎症が認められるからといって、それを直ちに臨床上の神経症状の発症原因であると考えてはならないとされている(<書証番号略>、証人大島義彦(以下「大島」という))。
右より、四肢末梢性感覚障害についても、X線検査により頸椎に変形性脊椎症の存在が認められることから、それを直ちに四肢末梢性感覚障害の発症原因とすることはできない。頸椎の変形が原因となって脊髄または神経根が圧迫されることによって、四肢に感覚障害が発症し得ることとなるのであり、これが頸椎症性脊髄症または頸椎症性神経根症である(<書証番号略>)。そして、単独で四肢末梢性感覚障害を生じさせ得るのは頸椎症性脊髄症であり、頸椎症性神経根症は、単根性の障害例がほとんどであり、感覚障害の部位は上肢のみにとどまり、下肢には及ばないため、単独で四肢末梢性感覚障害を生じさせることはない(<書証番号略>)。
そこで、頸椎症性脊髄症との鑑別の指標について述べる。
(二) 頸椎症性脊髄症との鑑別の指標について
頸椎症性脊髄症であれば、水俣病においては特徴的とはいえない以下の特異所見が認められる(<書証番号略>、大島)。
(1) X線所見
頸椎症性脊髄症の発生機序に関しては、骨棘などによって脊髄に機械的圧迫が加わることが重要な成因であると考えられているので、頸椎症性脊髄症が存在するならば、当該感覚障害を生じさせ得る脊髄高位において、X線検査により脊椎に変形性変化の所見(脊椎管狭窄、椎間板狭少、椎体後方骨棘、椎体後辷りなど)が認められることになる。
(2) 圧迫病変部より下部の深部反射の亢進
頸椎症性脊髄症が存在するならば、圧迫障害された脊髄の当該髄節においては深部反射が低下ないし消失し(また筋萎縮などの症状も現れ、)その部位よりも下部では深部反射の亢進がみられる。特に、下肢の深部反射は亢進する。
(3) 病的反射陽性等
頸椎症性脊髄症が存在するならば、病的反射陽性(ホフマン、ワルテンベルグ、バビンスキーなど)、膝クローヌス、足クローヌスなどの錐体路障害が認められることが多い。
(4) 痙性麻痺による運動障害
頸椎症性脊髄症が存在するならば、四肢の痙性麻痺による歩行障害及び手指の巧緻運動障害が特徴的に認められる。右の痙性麻痺による歩行障害は、ぎこちない動作が特徴で、水俣病の失調歩行とは異なる。
(5) 運動障害の優位性
頸椎症性脊髄症の場合は、運動障害が一般的にみられる症状であり、感覚障害は一定程度重くなったときにのみ出現することが多く、運動麻痺が存しないのに感覚障害だけが発生するというような症例は極めて稀である。
(三) 頸椎症性神経根症との鑑別の指標について
頸椎症性神経根症は、腰椎症などとの合併により四肢に感覚障害を生じさせ得るので、頸椎症性神経根症を鑑別する指標についても述べる。
頸椎症性神経根症であれば、水俣病においては特徴的とはいえない以下の特異所見が認められる(<書証番号略>、大島)。
(1) 頸椎症性神経根症による感覚障害の特徴
頸椎症性神経根症による感覚障害は障害されている神経根の高位に応じた分節的なものであり、一般に片側性で、まれに両側性に認められる場合でも左右差が認められる。
(2) X線所見
頸椎症性神経根症は、椎間孔周辺で神経根が圧迫されて神経症状を呈するものであるから、頸椎症性神経根症が存在するならば、当該感覚障害を生じさせ得る神経根の高位に対応する椎間板高位において、X線上、脊椎の変形性変化の所見(椎間板狭少、椎体辺縁隆起、鈎椎結合部の骨変化、椎間孔狭少など)が認められる。
(3) 頸椎圧迫試験陽性
頸椎症性神経根症が存在するならば、頸椎圧追試験(スパーリングテスト)によって上肢への放散痛が誘発、再現される。
(4) 障害神経根の高位に応じた深部反射の低下
頸椎症性神経根症が存在するならば、障害されている神経根の高位に応じて上腕二頭筋反射または上腕三頭筋反射の低下が認められる。
(5) 障害神経根の高位に応じた筋力の低下
頸椎症性神経根症が存在するならば、障害されている神経根の高位に応じて上腕三角筋、上腕二頭筋または上腕三頭筋の筋力の低下が認められる。
2 糖尿病との鑑別について
(一) 糖尿病は多発神経炎を生じさせる一つの原因となるものであり、糖尿病性多発神経炎の臨床症状は、通常、左右対称に四肢末端がおかされ、感覚の鈍麻は強くないが、主に深部感覚に異常を生じさせることが多いことが指摘されている(<書証番号略>)。したがって、糖尿病罹患が指摘される原告については、四肢末梢性感覚障害が糖尿病によるものでないことの鑑別が必要となる。
(二) 四肢末梢性感覚障害が糖尿病によるものかどうかの鑑別の指標は、糖尿病の場合、糖尿病のコントロールが良好であれば、感覚障害も改善するという関係が認められることである(<書証番号略>、証人斎藤恒(以下「斎藤」という)(第二回))。したがって、糖尿病のコントロールが良好であるにも拘らず、四肢末梢性感覚障害が不変である原告については、その感覚障害を糖尿病によるものとすることはできない。
3 脳血管障害との鑑別について
一般に脳血管障害という場合には、主に脳梗塞(脳血栓、脳塞栓)や頭蓋内出血(脳出血、くも膜下出血)を指すものと解されるが、広く脳血管障害という場合には、脳動脈硬化症をも含むものと解される。そこで、まず、脳動脈硬化症について述べる。
(一) 脳動脈硬化症について
脳動脈硬化症は、脳の局所症状を生じさせないが、不定の神経症状として手足のしびれ感を生じさせるとされている(<書証番号略>)。他方、感覚検査によって他覚的にとらえられる感覚鈍麻はむしろ脳の局所症状であり、不定の神経症状ではないと解されている。したがって、脳動脈硬化症にみられる手足のしびれ感と感覚検査によって四肢末梢性の感覚鈍麻所見が他覚的にとらえられる水俣病の感覚障害は、感覚検査による他覚的所見の有無により鑑別ができると解される。後記のとおり、原告らは感覚検査により他覚的に感覚障害の存在が認められているので、「個別原告についての検討」における鑑別では、脳血管障害が指摘される原告については、脳梗塞及び頭蓋内出血のみを検討することとする。
(二) 脳血管障害(脳梗塞、頭蓋内出血)について
脳血管障害は、発症が突然か急性であり、病巣症状は系統疾患の形をとらないで、解剖学的な局所症状を示し、多くの場合は片麻痺の症状を呈するなどの特徴を有する。脳血管障害によって生じる感覚障害は通常右半身または左半身に生じる半身性の感覚障害である。(<書証番号略>、斎藤(第二回)
右から、脳血管障害による感覚障害であるかどうかは、感覚障害の発症の緩急及び感覚障害の発症部位などによって鑑別することができると解される。
4 高血圧症との鑑別について
被告昭和電工は、原告らに対する個別の主張の中で、高血圧症によって感覚障害が生じている旨の主張を行っていると解されるので検討する。
確かに、証拠(<書証番号略>)によれば、高血圧症の自覚症状として、下肢のしびれ感を訴えることがあり、また、高血圧に伴う脳血管障害により手足のしびれ感が生じることがあると認められる。しかしながら、これらのしびれ感は、いずれも自覚症状にとどまるものであり、感覚検査によって他覚的に四肢末梢性の感覚鈍麻所見がとらえられる水俣病の感覚障害とは、この他覚的所見の有無により鑑別できる。
5 原因不明の多発神経炎について
多発神経炎の原因については、実際の症例では原因を明らかに指摘し得ない場合が多いが、これらのものの多くは感染、中毒によるものではないかと解されているところ(<書証番号略>)、メチル水銀の暴露蓄積が高度に推認される場合には、他の感染、中毒によるものであることが明らかでない限り、メチル水銀中毒によって生じた多発神経炎であると推認するのが相当である。
第四疫学条件について
一疫学的事実
水俣病は、被告昭和電工の鹿瀬工場から排出されたメチル水銀を含有する工場廃水によって汚染された阿賀野川に棲息する川魚等を流域住民が喫食することにより、人体内にメチル水銀が蓄積して罹患するものであるから、原告らの水俣病罹患の有無を判断するに当たって、原告らのメチル水銀暴露蓄積の事実の存否及び程度が重要な判断の指標となることはいうまでもない。
メチル水銀の暴露蓄積の事実及びその程度は、毛髪水銀値の測定結果により明らかにすることができるが、右の測定結果を得ていない場合には、居住歴、川魚喫食歴、職業、家族等の水俣病罹患の有無などのいわゆる疫学的事実の検討によって明らかにすることになる。すなわち、本件における疫学的事実とは、原告らにメチル水銀の暴露蓄積のあることを推認させる事実をいう。そして、各疫学的事実の内容及び集積により、メチル水銀の暴露蓄積の事実が高度に推認される場合を疫学条件が高度であるという。
以下、まず、原告らのメチル水銀の暴露蓄積の事実を判断するに当たって重要な前提事実となる鹿瀬工場の工場廃水による阿賀野川の汚染状況について検討する。
二阿賀野川の汚染状況
1 汚染の期間
(一) 汚染開始の時期
(1) 鹿瀬工場における昭和三二年から昭和四〇年までのアセトアルデヒドの生産量は以下のとおりであった。
昭和三二年 六二五一トン
昭和三三年 六六三〇トン
昭和三四年 九一四三トン
昭和三五年 一万一八〇〇トン
昭和三六年 一万五五五二トン
昭和三七年 一万七七三四トン
昭和三八年 一万九〇四三トン
昭和三九年 一万九四六七トン
昭和四〇年 五四三トン
この当時、鹿瀬工場は、アセトアルデヒド製造工程から排出される廃水について、メチル水銀化合物を除去するような廃水浄化設備を何ら設けていなかった。(争いのない事実、原告江花豊栄)
(2) 昭和四九年一二月までに認定された新潟水俣病患者五二〇例の中には、昭和三五年に発病したと推定される症例が存在することが認められる(<書証番号略>)。
(3) 昭和三八年八月初旬に阿賀野川の上流から中流にかけた石戸、佐取及び新郷屋で捕獲された魚類から検出された水銀値は別表1及び2のとおりであり、右各所の魚類の平均総水銀値はそれぞれ6.82ppm、6.34ppm、4.93ppmであり、右各所の魚類の平均メチル水銀値はそれぞれ3.14ppm、5.51ppm、3.63ppmであった(<書証番号略>)。
(4) 以上の事実が認められるところ、アセトアルデヒド生産量の増加は触媒として使用される水銀量の増加につながり、生成されるメチル水銀化合物の量も増加することになるのであるから、昭和三二年以降のアセトアルデヒド生産量の増加に伴って鹿瀬工場から排出されるメチル水銀化合物の量も増加していったことが推認でき、また、右事実によれば、昭和三五年ないし昭和三八年ころには相当高濃度のメチル水銀汚染が生じしていたことが認められる。
(5) この点につき、被告昭和電工は、阿賀野川のメチル水銀による汚染は昭和三九年八月ころから始まった旨を主張し、その根拠として、①<書証番号略>によれば、患者発生部落における犬猫の死亡等が昭和三九年八月以降急増していると認められること、②<書証番号略>によれば、初期患者二六名の発症時期は昭和三九年八月以降であると認められること、③<書証番号略>によれば、患者発生部落住民の毛髪水銀値の調査結果は昭和三九年八月ころから汚染が始まったとの事実に符合すると認められることなどを挙げている。
しかしながら、被告昭和電工の右主張は以下のとおり採用し難い。
まず、右①の点については、そもそも、<書証番号略>の犬猫の調査は昭和三九年一月より昭和四〇年五月までに飼われた犬猫について調査されたものに過ぎず、昭和三八年以前の犬猫の異常について十分な調査がなされた結果の報告であるとはいい難く、さらに、<書証番号略>によれば、昭和三八年にも水俣病様の症状を呈して死亡した猫が存在したことが認められるのであって、<書証番号略>に基づき、汚染開始時期が、昭和三九年八月ころであると解するのは適切ではない。次に、右②の点については、<書証番号略>は初期患者二六名の発症時期を示しているに過ぎす、後により多くの患者が発見されてその推定発症年次を明らかにしたのが<書証番号略>であるところ、右<書証番号略>によれば、前記のとおり既に昭和三五年からの発病が報告されているのであるから右<書証番号略>によって、汚染開始時期を推認するのは適切とはいい難い。そして、右③の点については、<書証番号略>は全体として調査報告数が少なく、昭和三九年八月以前の毛髪水銀値が報告されているのは三例のみであるが、そのうちの二例は昭和三九年八月以前から高い水銀値を示しており、決して昭和三九年八月ころから汚染が始まったとの事実に符合する結果を示しているとはいい難い。なお、<書証番号略>の図の基になっている研究の報告書である「新潟水銀中毒事件特別研究報告書」(<書証番号略>)四三二頁は、「患者および川魚多食者数名の長髪内水銀含有状態の経時的解析によって昭和三八年一二月から昭和三九年二月において、すでに五〇ppm以上の高濃度の水銀が証明された。」と、昭和三九年八月以前から高い水銀値を示した旨を報告している。
(二) 汚染終了の時期
(1) 阿賀野川の川魚による猫の発症実験
昭和四〇年一一月から患者の家において猫を飼育し、同年一二月中旬にニゴイやウグイを一、二尾(七五〇グラム程度)焼いて米飯に混ぜて与えて餌付けをし、翌昭和四一年一月から毎日一、二尾を焼魚として投与したところ、その結果同年三月一〇日に特有の中毒症状を示し、発作を再三繰り返して、一一日後の同月二一日に死亡し、剖検によって内臓から多量のメチル水銀が検出された(<書証番号略>)。
(2) 昭和四〇年一二月から昭和四一年二月ないし三月まで阿賀野川の川魚を喫食していた二名の者の毛髪水銀値を検査したところ、五五ppm(昭和四一年一月毛髪採取)と56.9ppmとの数値を示した(<書証番号略>)。
(3) 昭和五〇年八月ないし九月に行われた鹿瀬工場の排水口周辺底質の調査で、暫定除去基準値(二五ppm)を越える水銀が検出され、かなりの範囲で水銀が存在することが明らかとなり、浚渫工事が行われた(<書証番号略>)。
(4) 以上の事実が認められるところ、右事実によれば、昭和四〇年の一二月から昭和四一年のはじめころにおいてもメチル水銀に相当程度汚染された川魚が存し、さらに、昭和五〇年に至るも鹿瀬工場排水口付近の阿賀野川流域などには水銀汚染が残存していたことが認められる。
(5) この点につき、被告昭和電工は、阿賀野川のメチル水銀による汚染は昭和四〇年七月ころをもって終息した旨を主張している。
その根拠として、①<書証番号略>によれば、患者発生部落における犬猫の死亡等が昭和四〇年五月で終息していると認められること、②<書証番号略>によれば、患者発生部落住民の毛髪水銀値の調査結果は、昭和四〇年七月ころをもって汚染が終息したとの事実に符合する結果を示していることなどを挙げている。
しかしながら、被告昭和電工の右主張は以下のとおり採用し難い。
まず、右①の点についてであるが、<書証番号略>の出典である<書証番号略>によれば、犬猫の調査は昭和四〇年五月までに飼われた犬猫について調査されたものに過ぎず、昭和四〇年六月以降の犬猫の異常については調査がなされていないのであるから、<書証番号略>を汚染終了時期が昭和四〇年五月ころであるとする根拠として用いるのは適切ではない。次に右②の点については、確かに、<書証番号略>によれば、調査対象とされた六名のうち五名の毛髪水銀値は昭和三九年一〇月ないし昭和四〇年四月ころを頂点として下がる傾向を示していることが認められる。しかしながら、右の調査対象者は同年七月の時点においてもいまだ高い毛髪水銀値を示していること、また、<書証番号略>には同月以降の毛髪水銀値は記載されていないことにも鑑みると、<書証番号略>を汚染の終了時期が昭和四〇年七月ころであるとする根拠として用いるのは適切とはいい難い。
2 汚染の地域的範囲
(一) 鹿瀬工場は阿賀野川の河口から約六〇キロメートル上流の新潟県東蒲原郡鹿瀬町に所在する(<書証番号略>)。
(二) 鹿瀬工場付近で阿賀野川の魚をとって多量に喫食していた、鹿瀬町に居住する遠藤好三郎、ツギ夫婦は、昭和四〇年の調査時点において高い毛髪水銀値(夫七五ppm、妻一八七ppm)を示していた(<書証番号略>)。
(三) 前記1の(一)の(3)のとおり、昭和三八年八月初旬に阿賀野川の上流から中流にかけた石戸、佐取及び新郷屋で捕獲された魚類の総水銀値及びメチル水銀値が測定されているところ、右各所のいずれの地で捕獲された魚類からも高濃度の水銀が検出されている(別表1、2)。
(四) 昭和四九年一二月末日現在における水俣病認定患者五二〇名の居住地の分布は阿賀野川に沿って河口地域から上流の鹿瀬町まで広く分布している(<書証番号略>)。
(五) 以上の事実が認められるところ、右事実によれば、阿賀野川のメチル水銀による汚染は河口から上流約六〇キロメートルの鹿瀬工場付近にまで及ぶものであることが認められる。
(六) この点につき、被告昭和電工は、阿賀野川のメチル水銀による汚染の地域的範囲(少なくとも濃厚汚染の地域的範囲)について、河口から一〇キロメートル上流の泰平橋までの範囲にすぎなかった旨を主張している。
その根拠として、①<書証番号略>によれば、いわゆる水銀保有者(毛髪中の総水銀値が二〇〇ppm以上の者)の居住地は右の範囲の沿岸に限られていること、②上流で毛髪水銀値高値を示した遠藤夫婦は家のぶどう園で水銀農薬を使用していたことを挙げている。
しかしながら、被告昭和電工の右主張は以下のとおり採用し難い。
まず、右①の点についてであるが、<書証番号略>の毛髪水銀値の調査はその表自体から明らかなように中流及び上流沿岸地域住民の調査数が下流沿岸地域住民の調査数に比較して極端に少なく、この表のみから中流及び上流沿岸地域住民にはいわゆる水銀保有者がほとんどいなかったと結論付けることはできない。また、右②の点については、同じ時期に行われた農薬使用者の毛髪水銀値調査では最高値で22.2ppmに過ぎず、遠藤夫婦の高い毛髪水銀値を農薬で説明することはできない(<書証番号略>)。
3 農薬による水銀汚染の主張について
被告昭和電工は、<書証番号略>によれば、新潟水俣病の原因には、信濃川河口に存する新潟港埠頭倉庫が地震によって破壊され、流失した水銀農薬が大きく関与しているとして、阿賀野川のメチル水銀による汚染は、流失水銀農薬による短期集中汚染であり、汚染の範囲も阿賀野川河口から下流一体に限られていた旨を主張している。
しかしながら、右<書証番号略>は、埠頭倉庫に保管されていた一〇四五トンの水銀農薬がすべて信濃川河口及び阿賀野川河口付近で流失したとの仮定に立って右の結論を導いているところ、<書証番号略>によれば、一〇四五トンの水銀農薬のうち被災したのは約二〇七トンのみであり、しかも、そのうち約一四四トンは返品あるいは減価販売され、約六三トンは土中埋設等廃棄されていると認められ、他に一〇〇〇トンにも及ぶ大量の水銀農薬が流失したと認めるに足りる証拠はない。
また、右<書証番号略>は、埠頭倉庫に保管されていた一〇四五トンの水銀農薬が、地震の起きた六月一六日から集中豪雨後の七月九日までの間に平均的に信濃川及び阿賀野川河口区域に流失したと仮定して結論を導いているが、信濃川河口に存する新潟港埠頭倉庫から流失したとされる水銀農薬が阿賀野川河口流域にまで大量に到達したと認めるに足りる証拠はない。
よって、<書証番号略>の仮説は、その前提となる事実を認められることができず、その結論に与することはできない。
4 汚染魚の範囲
(一) 昭和四〇年に阿賀野川で採取された魚介類の水銀値は別表3のとおりである。右表3の出典である<書証番号略>(三三九頁)は、河口付近の松浜、下山、津島屋、一日市付近で六月一九日に採取されたニゴイで21.0ないし、23.6ppm、ライ魚で12.3ppm、マルタでも4.6ないし8.38ppmの水銀量を測定し、その後調査範囲を拡げ横雲橋付近(河口より一四ないし一五キロメートル)で七月二七日に採取された川ガレイに17.0ppm、ウナギに12.0ppm、ナマズに8.0ないし12.0ppmを、また、揚川ダム内津川町麒麟橋付近(河口より五六キロメートル)で七月二七日に採取されたウナギで41.0ppm、鹿瀬工場の排水口下流でマルタ5.48ppm、底棲生物の昆虫、硅藻からは鹿瀬橋付近(河口より六〇キロメートル)では1.8ないし0.26ppmしか水銀が検出されなかったが、鹿瀬工場の排水口付近では9.13ないし9.45ppmと異常に高く、揚川発電所付近(河口より四九キロメートル)では3.32ないし4.34ppm、馬下(河口より三四キロメートル)では2.85ないし5.10ppmの水銀が検出された旨報告している。
(二) 前記1の(一)の(3)のとおり、昭和三八年八月初旬に阿賀野川の上流から中流にかけた石戸、佐取及び新郷屋で捕獲された魚類の総水銀値及びメチル水銀値が測定されているところ、右魚類のいずれからも魚種を問わず高濃度の水銀が検出されている(別表1、2)。
(三) 右(一)及び(二)の事実から、阿賀野川に棲息する魚介類はほとんど種類を問わず広く水銀に汚染されていたことが認められる。ただし、証拠(<書証番号略>)によれば、サケ、アユ、シジミにはほとんど汚染がなかったことが認められる。
三各疫学的事実について
1 居住歴について
(一) 水俣病は、阿賀野川の川魚を流域住民が喫食することによって罹患するものであるから、原告らのメチル水銀の暴露蓄積の事実を判断するに当たっても、その居住地がどこであったかを顧慮する必要がある。さらに、同一の生活圏、同一の生活様式にある地域住民の水俣病罹患の有無は、その地域における、食習慣、川魚のメチル水銀による汚染状況等を知る上においても有用な事項である。したがって、居住歴は、当該原告のメチル水銀の暴露蓄積の事実を判断するのに有用な事実である。
(二) 原告らの居住地について
原告らは、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、阿賀野川流域である、新潟市津島屋、同市下山、同市太平、同市松浜、新潟県豊栄市、同県中蒲原郡横越村、同県北蒲原郡水原町、同郡安田町、同県五泉市、同県東蒲原郡三川村、同郡津川町、同郡鹿瀬町等に居住していた(<書証番号略>)。
右の地域における平成二年九月三〇日現在の各水俣病認定患者の数は、新潟市三二四名、豊栄市一七一名、横越村一八名、水原町二三名、安田町八〇名、五泉市一〇名、三川村二三名、津川町二五名、鹿瀬町三名である(<書証番号略>)。
(三) 地域集積性について
原告らは、水俣病は環境汚染による中毒であるから、同一生活圏、同一生活様式と考えられる一つの地域全体、すなわち、水俣病患者が多数存在する地域全体が同一のメチル水銀暴露の条件下にあるものと考えられる旨を主張している。
これに対し、被告昭和電工は、ある地域全体がメチル水銀に汚染されているというためには、その地域全体の居住者が一様に汚染された川魚を喫食すること及びその中でも特に汚染魚であるニゴイを喫食することの二つの事実が一様にみられなければならない旨を主張しているので検討する。
まず、前記二の4及び後記2の(二)のとおり、阿賀野川の川魚はサケとアユを除き、種類を問わずメチル水銀に汚染されていたと認められ、阿賀野川の川魚を種類を問わず多食することにより水俣病に罹患する可能性があることが認められるから、ニゴイの喫食のみを問題とすべきではない。次に、被告昭和電工は、<書証番号略>を引用して、川魚喫食者が、水俣病患者及び水銀保有者発生地区においても調査対象者の38.8パーセントに過ぎず、当該地域居住者全員が汚染魚を喫食しているとはいえない旨を主張している。確かに、川魚の好悪に個人差が存することは当然であり、水俣病症状を呈する者が多数存在する地域に居住しているということのみから、直ちにその者がメチル水銀の暴露蓄積を受けたことを推認することはできない。しかしながら、ある地域に水俣病症状を呈する者が多数存在することから、その地域におけるメチル水銀による川魚の汚染状況や当該地域における一般的な川魚喫食習慣、食生活等を推認することは可能である。このような見地から、ある地域に水俣病症状を呈する者が多数存在することは、そこに居住する原告のメチル水銀暴露蓄積の事実を判断するに当たって意味のある事実であるということができる。
2 川魚喫食歴について
(一) 水俣病は阿賀野川の川魚等を喫食することによって罹患するものであるから、原告らのメチル水銀の暴露蓄積の事実を判断する上において川魚等の喫食状況が重要な事実となる。
(二) 発症閾値との関係
(1) 原告らがメチル水銀の暴露を受け、その体内蓄積量が発症閾値を超えたことが明らかにされれば、水俣病罹患の可能性を肯定することができる。原告らが暴露を受けて体内に蓄積したメチル水銀の量は、原告らの川魚喫食量とその川魚に含まれていたメチル水銀量が明らかになれば、容易に算出することができる。しかし、原告らが阿賀野川の川魚を多食していた時期に川魚にどれ程のメチル水銀が蓄積していたかを明らかにする資料は十分ではない。
原告らが阿賀野川の川魚を多食していた時期の川魚のメチル水銀蓄積量を明らかにするには不十分であるが、別表2記載の昭和三八年八月初旬に阿賀野川の上流から中流にかけた三か所で捕獲された幼魚のメチル水銀値の平均値四ppmを前提として、メチル水銀の腸管吸収率を一〇〇パーセント、生物学的半減期を七〇日とし、喜田村の理論蓄積推移曲線の理論(1日平均吸収量×生物学的半減期×1.44=蓄積限界量。<書証番号略>)を採用して水銀の体内蓄積量を試算してみると、このような魚を一日二〇〇グラム週に三日喫食することを継続すれば、水俣病の最低発症蓄積量二五ミリグラムを相当超える34.55ミリグラムのメチル水銀が体内に蓄積することになる。
そして、川魚は魚齢を重ねたもの程多くのメチル水銀を蓄積しており(<書証番号略>、証人滝澤)、幼魚のメチル水銀蓄積量は成魚に比べて少ないと考えられるから、右の試算に用いた幼魚のメチル水銀の数値は、当時の川魚全般のメチル水銀値の平均値より相当程度低い値となっていると考えられる。したがって、一般に、右程度の喫食頻度及び喫食量があれば、十分に最低発症蓄積量を超えるメチル水銀が蓄積し得るということができる。
(2) 被告昭和電工は、メチル水銀値一〇ppmを超える汚染の認められた魚、特にニゴイ及びウグイを喫食しなければ水俣病の発症はあり得ない旨を主張している。
しかしながら、喫食を継続した場合にメチル水銀の体内蓄積量が水俣病の最低発症蓄積量を超えることになるのは、メチル水銀値一〇ppmを超える魚に限定されないことは右(1)の試算から明らかである。また、前記二の4のとおり、阿賀野川に棲息する魚介類はほとんど種類を問わず広く水銀に汚染されていたと認められることに鑑みると、ニゴイ及びウグイに限らず、阿賀野川に棲息する川魚を種類を問わず多食することにより水俣病に罹患する可能性があることが認められる(ただし、サケ、アユなどの特に汚染の低かった魚に限って多食していたような特別の場合にはメチル水銀の蓄積量が最低発症蓄積量に達しないことがあり得るが、原告らについて、そのような事情が認められる者は存しない)。
(三) 原告らの川魚喫食の時期について
(1) 被告昭和電工は、阿賀野川の汚染期間が昭和三九年八月ころから昭和四〇年七月ころまでに過ぎなかったのであるから、本件訴訟において原告らの川魚喫食歴を判断するに当たっては右期間の川魚の喫食を問題とすれば良い旨を主張している
しかしながら、阿賀野川の汚染期間は決して右期間に限られるものではないことは前記二のとおりであるから、右主張を採用することはできない。
(2) 被告昭和電工は、阿賀野川には昭和四〇年六月川魚採捕禁止の行政指導がなされ、その後も漁業組合を通じあるいは新聞発表等により多数の人に流布が行き届く方法によって再三に亘り、川魚の採捕もしくは喫食に関するきめ細かな行政指導が継続されてきたので、原告らが昭和四〇年六月以降も川魚を多食し続けたとは考えられない旨を主張している。
しかしながら、昭和四〇年六月当初川魚の採捕禁止の行政指導がなされたのは阿賀野川の横雲橋より下流の地域のみであり、上流の地域をも対象として行政指導がなされたのは昭和四一年四月になってからである。しかも、昭和四〇年八月には、川魚の採捕禁止の行政指導を継続しない旨の報道関係に対する発表がなされており、同年九月には同旨の通知が保健所長、漁業組合長ら宛てになされており、右発表及び通知は、ニゴイ、ウグイなどの水銀含有量の多い魚については食用に供しないことが望ましいとしているが、川魚の採捕禁止の行政指導を継続しないことに力点が置かれているものである。昭和四二年及び昭和四四年の行政指導は、いずれも長期かつ大量の喫食はさけるようにとはされているが、むしろ川魚の食用抑制を緩和する趣旨の行政指導であり、昭和四六年以降の行政指導は長期かつ大量の喫食はさけるようにとの指導にとどまっている。(<書証番号略>、証人北野博一)
以上の行政指導の経過を鑑みると、川魚のうちニゴイ及びウグイを長期かつ多量に食べることは危険である旨の行政指導は継続してなされていたと認められるが、上流地域に対する行政指導は必ずしも十分ではなく、また、行政指導は保健所及び漁業組合を通じたものが多く、一般の流域住民にどれ程流布していたかは不明である。したがって、右のような行政指導の状況に鑑みれば、同被告の主張を採用することはできない。
3 職業について
原告らのメチル水銀の暴露蓄積の事実を判断するに当たって、職業は、阿賀野川との関わりを知る上でも、川魚の入手方法を知る上でも有用な事項である。
特に、川魚の入手については、阿賀野川で漁業を営んでいた者はもちろん、他にも、阿賀野川において、川船運送業や砂利採取業などを営んでいた者の多くは、仕事の傍ら川魚をとっていたことを認められ(<書証番号略>)、阿賀野川を仕事場にするような職業に就いていたことは、当該原告のメチル水銀の暴露蓄積の事実を判断するのに有用な事実となる。
4 家族等の症状について
水俣病は川魚の喫食を通じて罹患するものであるから、食生活を同じくする家族に水俣病症状を呈する者が存在することは、特に家族内で川魚喫食状況に大きな差異があったなどの特段の事情が認められない限り、当該原告のメチル水銀の暴露蓄積の事実を判断するのに有用な事実となる(<書証番号略>)。
5 犬猫の異常について
水俣病発生初期の調査によって、水俣病患者発生地区において、多数の犬や猫の死亡、行方不明があった旨が報告されている(<書証番号略>)。特に、水俣病患者の家庭で飼われていた犬や猫が、狂い走り回る、ぶつかる、飛び上がる、痙攣を起こす、よだれを流すなどの異常挙動を示して狂死している例が多いことが報告されており、これは、他の特別の事由によるものであることが窺えない限り、犬や猫が、家人が食べたのと同様の、あるいは家人が残した川魚を食餌として与えられた結果、水俣病に罹患したものであると推認される。したがって、犬や猫が異常挙動を示して狂死しているという事実は、その家の人間のメチル水銀の暴露蓄積の事実をも推認させる一資料となり得ると考えられる。
6 毛髪水銀値について
阿賀野川の川魚を多食していた時期に毛髪水銀値の測定検査を受けて測定結果が明らかになっている原告については、その毛髪水銀値が、当該メチル水銀の暴露蓄積の事実を判断するのに有用であることについては当事者間に争いがない。
四疫学的事実は非客観的、不確実であるとの被告らの主張につて
被告らは、疫学的事実は原告らの記憶に基づく供述に依拠しているものであって、非客観的であり、不確実であるから水俣病罹患の有無の判断の指標に用いるべきでない旨を主張している。
しかし、疫学的事実の中でも、居住歴、職業、家族等の症状などの中には客観的に明らかにし得るものも少なからず存し、川魚の喫食状況についても、認定申請の際の申請書の記載など、喫食時からそれほど年月が経過していない時期の申述もあり、また、居住歴、職業、家族等の症状など他の事実と合わせて検討することにより、多くの場合、喫食状況を客観的に裏付けることができる。
以上より、疫学的事実を非客観的、不確実なものであるから水俣病罹患の判断材料として用いるべきではないという主張は採用することはできない。
五新潟水俣病と熊本水俣病とでは疫学的事実の意義に差異があるとの被告昭和電工の主張について
被告昭和電工は、新潟と熊本とでは、魚介類のメチル水銀濃度、魚介類の喫食量の多さ、汚染魚の範囲などにおいて格段の相違があり、熊本においては疫学的事実がメチル水銀の暴露蓄積の「高度の蓋然性」を示すことになっても、新潟においては必ずしもそのように考えられない旨を主張しており、確かに、熊本の方が症状において重篤な者が多数おり、患者数も多数であるという被害規模の点では新潟よりも大きいといえる。
しかしながら、新潟における平成二年九月三〇日現在の水俣病認定患者数は六九〇名という多数に上り(<書証番号略>)、また、前記二及び三のとおり、阿賀野川の汚染が長期間、広範囲かつ濃厚なものであることに鑑みると、前記三及び四で検討した新潟における疫学的事実の有用性及び信頼性を左右するものではない。
第五原告らの水俣病罹患の有無について
一<書証番号略>の感覚障害所見の信用性について
1 <書証番号略>を作成した医師について
証拠(<書証番号略>、斎藤(第一回、第二回)、証人関川智子(以下「関川」という))及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 斎藤は、昭和三〇年三月新潟大学医学部卒業、昭和三一年医師免許取得、同大学医学部研究生、同大学医学部助手、同大学医学部小児科教室副手等を経て、その間医学博士号取得、昭和三九年一月から昭和五一年三月まで医療法人新潟勤労者医療協会(以下「新潟勤医協」という)沼垂診療所長を勤め、昭和五一年四月新潟医療生活協同組合木戸病院長に就任し、現在に至る。
同人は、新潟において水俣病が発見された当初から水俣病問題に関心を持ち、水俣病認定患者六九〇名のうちの八割以上の者を診察し、沼垂診療所勤務当時は約二五〇名の認定患者を、木戸病院においては約一七〇ないし一八〇名の認定患者を日常的に診療している。同人には、水俣病の臨床症候、治療、病理等に関する論文、水俣病の認定問題に関する論文等、水俣病に関する多くの単独または共著の論文及び著作がある。
(二) 関川は、昭和四二年三月新潟大学医学部卒業、昭和四三年医師免許取得、同大学医学部内科学第三教室を経て、昭和四五年一一月新潟勤医協白山診療所に勤務し、同年一二月同診療所長に就任し、現在に至る。
同人は、昭和四五年ころから水俣病患者の診察を始め、昭和四八年七月から水俣病認定申請のための診断書を作成し始め、白山診療所において水俣病認定申請のための診断書を作成した患者約一二〇名の診療、さらに沼垂診療所において斎藤から引き継いだ約一二〇名の水俣病認定患者及び未認定患者約一〇〇名の水俣病患者の診療に携わってきた。
(三) 医師富樫昭次(以下「富樫」という)は、昭和二九年三月新潟医科大学(新潟大学)医学部卒業、昭和三一年医師免許取得、新潟大学医学部第二内科副手、同大学医学部第二内科助手を経て、その間医学博士号取得、昭和三六年九月新潟勤医協新津診療所長に就任し、昭和五一年二月新潟勤医協下越病院長に就任し、現在に至る。
富樫は、新潟において水俣病が発見された当初から水俣病問題に取り組み、十数回にわたる阿賀野川流域、殊に中、上流域の患者の現地調査や検診活動に参加し、多数の水俣病認定患者や未認定患者を診察してきた。
(四) 右三医師は、特に、新潟大学医学部の神経内科の専門医である前記白川、広田紘一(以下「広田」という)らが、沼垂診療所や白山診療所を訪れて水俣病患者を診療する際、あるいは、阿賀野川流域住民に対する検診活動をする際に、治療について相談したり、教えを受けたりすることを通じて、神経内科的な水俣病の診療方法を習得していった。
2 <書証番号略>の感覚障害所見の信用性について
(一) <書証番号略>を作成した斎藤、関川及び富樫の三医師は長年にわたる医師としての経験及び水俣病患者の診療に当たってきた経験を有し、<書証番号略>には、複数の医師による感覚障害所見が記載され、また、多くの原告について、白川、広田らの所見も記載されているところ、白川、広田らの所見が記載されているほとんどの原告の感覚障害所見は右三医師の感覚障害所見と共通していることなどに鑑みると、<書証番号略>の感覚障害所見の信用性は高いといえる。
(二) 被告らは、<書証番号略>の感覚障害所見について、種々の問題点がある旨を主張しているので検討する。
(1) 被告国の主張について
被告国は、①斎藤は、水俣病における感覚障害の部位の特異性、軽快し難く持続する特徴を過大視している旨、及び、②同人のペイン・メーターに関する証言は同人の過剰診断傾向を示している旨を主張している。
しかしながら、右①の点については、水俣病の感覚障害が四肢末梢性感覚障害であることに特徴があり、また、他の神経症候に比較して軽快消失し難いことは前記第二の一の2のとおりであるから、これらの特徴を重視することは不相当とはいい難く、斎藤の感覚障害所見に疑問があるとは解されない。右②の点については、被告国は、斎藤のペイン・メーターによる検査によって異常値が得られた場合には大いに取り上げていいけれども、正常値の範囲にあるからといって感覚障害の存在は否定できない旨の証言を問題にするものであるが、斎藤は、ペイン・メーターによる検査において正常範囲内の数値を示した場合であっても、他の感覚検査によって異常がとらえられる場合があることを指摘するに過ぎず、このことをもって過剰診断傾向を示すものとは解されない。
(2) 被告昭和電工の主張について
被告昭和電工は、①斎藤は感覚鈍麻と異常感覚とを明確に意識していない疑いがあり、両者を同列に説明していること、②同人は、感覚検査はほとんど触覚検査だけを行っており、痛覚その他の検査を行っていないことから、<書証番号略>の感覚障害所見の信用性には疑問がある旨を主張している。
しかしながら、右①の点については、同人の感覚鈍麻と異常感覚に関する証言の趣旨は、患者の訴えが必ずしも両者をはっきり区別できない場合があるとしているに過ぎず、同人が両者の区別をしていないことまでも示すものであるということはできず、また、右②の点については、同人は、確かに触覚検査を中心として行っているものの、長い経過の中では痛覚や温覚も検査していると証言しており、原告らは、同人らから長期間にわたって複数回の感覚検査を受けていること、そして、前記のとおり、斎藤の診断が他の医師らの判断と乖離しているとは認め難いことなどに鑑みると、同被告の主張はいずれも採用できない。
以上から、被告らの主張を検討しても、<書証番号略>の感覚障害所見の信用性に疑問が生ずるとは解されない。
二感覚障害の部位(半身性、変動)について
1 半身性の感覚障害について
原告らは、水俣病の感覚障害は、四肢末梢性感覚障害であることが特徴であるが、これに加えて右半身または左半身にみられる半身性の感覚障害もみられることがある旨を主張している。
これに対し、被告昭和電工は、一般に中毒の場合、障害は両側性に現れるはずであり、剖検例でも片側に病理変化がみられた例はなく、したがって、片側の感覚障害というものは水俣病によるものとは認められない旨を主張している。
確かに、被告昭和電工の主張するように、水俣病によって、半身性の感覚障害が生じる機序については病理学的には必ずしも明確に説明されてはいない。
しかしながら、多くの水俣病患者を診療してきた白川及び広田は、以下のとおり、半身性の感覚障害が存在する旨の研究報告を行っており、また、水俣病認定患者の診察の際に半身性の感覚障害を所見として把握した旨を診療録に記載している。すなわち、①広田は水俣病における代表的感覚障害の例として、四肢末梢性感覚障害に加えて半身性の感覚障害が生じている例を挙げている(<書証番号略>)。また、②白川は、新潟水俣病患者について不全片麻痺がみられるとともに麻痺側に半身性の感覚障害がみられた旨、及び、熊本水俣病患者にも半身性の感覚障害がみられた旨の研究報告をしている(<書証番号略>)。そして、③白川及び広田は一八名の水俣病認定患者を診察した際、右一八名の患者全員について、四肢末梢性感覚障害に加えて右半身または左半身の感覚障害が存在する旨の診察所見を診療録に記載している(<書証番号略>。なお、被告昭和電工は、右の<書証番号略>について、その由来、性格が不明であって診療録に通常期待される信用力は備わっていない旨を主張している。しかし、右<書証番号略>は、欄外の記載から沼垂診療所の診療録であること、及び、診察医欄の署名から白川あるいは広田によって作成されたものであることが認められること、前記一の1の(四)のとおり白川及び広田は、沼垂診療所を訪れて水俣病患者を診療していたことから、同<書証番号略>は、沼垂診療所において、白川及び広田が水俣病認定患者を診察した際に作成した診療録であることが推認でき、その由来、性格が不明であるとは解されない)。
さらに、関川作成の新潟における水俣病認定患者の症状経過一覧表によれば、一度でも半身性の感覚障害を示したことがある者が、認定患者一七三名のうちの一三五名(この中には、右③の一八名も含まれている)にも上ることが認められる(<書証番号略>)。
以上より、水俣病患者の臨床所見として半身性の感覚障害が数多く認められることは否定できない。したがって、少なくとも、原告らについても、半身性の感覚障害がみられることは、その者の水俣病罹患の可能性を否定する理由とはならないというべきである。
2 感覚障害の部位の変動について
原告らは、水俣病の感覚障害の部位について、四肢末梢性感覚障害を基本としながらも、その四肢の一部に感覚障害がみられないことや半身性の感覚障害の部位が左右入れ替わってみられるなどの部位の変動がある旨を主張している。
これに対し、被告らは、水俣病は主として脳中枢神経に器質的病変をおこす中毒疾患であるから、その症状の出現部位が短期間のうちに身体の左右とか上肢下肢といったように転々変動することはない旨を主張している。
確かに、水俣病における感覚障害の部位が変動する理由について、病理学的に必ずしも明確に説明されてはいない。
しかしながら、以下のとおり、水俣病認定患者においても感覚障害の部位の変動が認められている例は少なくない。すなわち、白川及び広田が水俣病認定患者一八名を複数回診察した際の感覚障害所見を記載した<書証番号略>によれば、右一八名の患者全員について、半身性の感覚障害の部位が左右入れ替わっていることが認められる(経過途中で半身性の感覚障害が消失し、再び出現している者も存在する)。そして、右の一八名のうち四名は、経過途中で四肢の感覚障害に変動があったこと(当初四肢の一部のみにみられていたが後に四肢全部にみられるようになった者(<書証番号略>)、当初四肢全部にみられていたが経過途中で四肢の全部または一部にみられなくなった者(<書証番号略>)が認められる。
また、関川作成の新潟における水俣病認定患者の症状経過一覧表(<書証番号略>)によれば、認定患者一七三名のうち二二名の者について、半身性の感覚障害の部位が左右入れ替わっていることが認められる(この中には、右の<書証番号略>の一八名も含まれている)。そして、右の一七三名のうち四肢の感覚障害に変動のあった者(当初四肢全部にみられていたが途中で四肢の一部にみられなくなった者(その後再び四肢の全部にみられるようになった者もある)、当初四肢全部にみられていたが途中で四肢全部にみられなくなってその後再び四肢の全部にみられるようになった者、当初四肢の一部のみにみられていたが後に四肢全部にみられるようになった者、当初四肢にみられなかったが後に四肢全部にみられるようになった者及び当初上肢のみにみられていたが後に下肢のみにみられるようになった者)が二九名いることが認められる(なお、前記<書証番号略>の四肢の感覚障害に変動がみられた四名については、四肢の感覚障害の変動に関する所見が<書証番号略>には記載されていない)。
以上から、水俣病患者にはその臨床所見上、感覚障害の部位ついて、四肢の一部に感覚障害がみられないことや半身性の感覚障害の部位が左右入れ替わってみられるなどの変動があることが認められる。したがって、少なくとも、原告らについても、感覚障害の部位に変動がみられることは、その者の水俣病罹患の可能性を否定する理由とはならないというべきである。
三原告らの水俣病罹患の有無について
原告ら各人の水俣病罹患の有無についての当裁判所の判断は「個別原告についての検討」(判決第二、第三分冊)記載のとおりである。
第四編損害
第一原告らの主張について
一原告らの主張(包括一律一部請求)
原告らは、原告らの損害は、被告らの不法行為によって引き起こされた長期間にわたる精神的、肉体的、家庭的、社会的、経済的損害の全てを包括した総体であり、本件訴訟においては、右の総体を損害としてとらえ、包括して慰籍料として請求し、損害額の算定に当たってはいわゆる個別算定方式をとらないで、治療費や逸失利益等の財産的損害をも斟酌事由とすべきである旨を主張している。また、原告らは、各人が被った全損害の一部を最小限度で統一して一律二二〇〇万円を請求しているのであり、したがって、原告らの請求は全損害の一部の賠償請求である旨を主張している。
二検討
1 一部請求について
原告らは、本件訴訟における請求は全損害の一部の賠償請求である旨を主張しているが、損害の全額を何ら明示していないのであるから、本来の意味における一部請求であると解することはできず、本件訴訟における審判の対象は、原告らの口頭弁論終結時までに発生した損害の賠償請求権全部の存否であり、請求額は、判決による認容額の上限を画するにすぎないというべきである。
2 包括請求について
原告らは固有の意味の精神的損害に対する慰籍料のほかに治療費や逸失利益等の財産的損害に対する賠償を含めたものを包括して慰籍料として請求しているものと解される。本件の場合には、同一の加害者の不法行為によって多数の被害者が発生し、原告らが水俣病に罹患してから長期間が経過しており、その間に水俣病罹患による種々の財産的、精神的損害が発生していることが窺われ、個々の損害の立証が困難であり、これを必要とすると不相当な訴訟遅延をもたらすおそれがあること、また、損害賠償請求訴訟においては、損害額算定に当たっていわゆる個別算定方式をとるのが通常であるが、その場合にも慰籍料の補完的な作用により全体として相当な損害額を算定することがあること、さらに、右1記載のとおり原告らの請求が全部請求であり、後に別訴によって残額の請求をすることが許されないことなどに鑑みると、精神的損害のみならず財産的損害をも包括して慰籍料として請求することも許されるというべきである。ただし、右財産的損害については、立証された事実が慰籍料算定の基礎となる事実と評価することができる場合に限り、慰籍料の算定に当たって斟酌することができると解する。
3 一律請求について
原告らは、原告らの被った被害の本質が同一であることなどから、原告らの損害額に差を設けるべきではないとして一律に同額の賠償請求をしている。しかしながら、水俣病の症状、程度、増悪軽快の状況、他の疾患の影響の有無、生活上の支障の態様等は、個々の原告によって異なるのであって、このような個別事情を全く考慮することなく、一律に損害額を算定することは、損害の公平妥当な負担を目的とする不法行為制度の趣旨に必ずしも合致するものとはいい難く、原告ら全員について一律の損害額の算定を求める原告らの主張を直ちに採用することはできない。ただし、裁判所が、原告ら各人の個別事情を考慮した上で原告らの損害を一定の共通性をもったいくつかの類型に分類できると判断した場合に、その類型ごとに損害額を算定することは可能であると解する。
第二損害額(慰籍料)の算定等
一損害額
原告らの損害額の算定に当たっては、水俣病罹患時から本件口頭弁論終結時までの原告ら各人の個別事情を考慮すべきところ、その事情の主なものは、水俣病の症状、程度、僧悪軽快の状況、他の疾患の影響の有無、年齢、生活上の支障の態様などである。
当裁判所が、請求を認容した原告(以下「認容原告」という)ら各人の損害額算定に当たって考慮した個別事情の主なものは「個別原告についての検討」(判決第二、第三分冊)記載のとおりである。
右の認容原告ら各人の個別事情及びその他本件に現れた一切の事情を考慮すれば、認容原告ら各人の損害額は別紙認容額一覧表の認容損害額欄記載のとおりとなる。
二弁護士費用
本件事案の内容、審理経過、認容損害額等に照らすと、認容原告ら各人の弁護士費用のうちそれぞれ五〇万円が本件不法行為と相当因果関係のある損害であると認められる。
三遅延損害金
本来は不法行為時から遅延損害金が発生すると解するのが、相当であるが、本件においては、不法行為時ではなく、口頭弁論終結時を基準として認容原告らの慰籍料を算定したのであるから、本件口頭弁論終結日である平成三年一〇月二一日から遅延損害金を付することとする。
第五編結論
以上によれば、別紙認容額一覧表記載の原告らの被告昭和電工に対する請求は、同表の合計認容額欄記載の各金員及びこれに対する平成三年一〇月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、右原告らの被告昭和電工に対するその余の請求及び被告国に対する請求、別紙請求棄却原告目録の一記載の原告らの被告らに対する請求並びに別紙請求棄却原告目録の二記載の原告らの被告国に対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとする。
(裁判長裁判官吉崎直彌 裁判官定塚誠 裁判官手塚明)
別紙当事者目録
(原告肩書の数字は原告番号を示す。)
一 原告 五十嵐幸栄
二 同 五十嵐カヨ
三 同 織田三江
四 同 三浦スヅ
五 同 大塚キイ
六 同 志田新作
七 同 五十嵐三作
八 同 石山喜作
九 同 小武シズカ
一〇 同 高橋マツイ
一一 同 井村十三男
一二 同 石山末栄
一三 同 渡辺義
一四 同 坂井ミヨイ
一五 同 小武節子
一六 同 渡辺篤
一七 同 木村政雄
一八 同 木村實
一九 同 南サク
二〇 同 井村文吉
二一 同 高橋キヨシ
二二 同 今井八蔵
二三 同 木村満子
二四 同 井村キヨ
二五 同 木村冬
二六 同 平岩喜代三
二七 同 平岩春次郎
二八 同 平岩愛子
二九 同 新保新次郎
三〇 同 小泉友三郎
三一 同 福井勝治
三二 同 徳原幹久こと
玄致炯
三三 同 坂井フミイ
三四 同 長谷川ミツ
三五 同 吉田カヅイ
三六 同 渡辺ヨシ
三七 同 星田ゆきえ
三八 同 今井ミイ
三九 同 五十嵐コシミ
四〇 同 佐久間タカノ
四一 同 佐久間ムツミ
四二 同 長谷川サチ
四三 同 加藤信一
四四 同 加藤傳作
四五 同 加藤トヨ
四六 同 角田平吉
四七 同 川瀬吉平
四八 同 山田正
四九 同 渡辺隆吾
五〇 同 渡辺トミノ
五一 同 五十嵐キヨ
五二 同 大嶋與四一
五三 同 大嶋ヨシノ
五四 同 帆苅好子
五五 同 市川栄作
五六 同 中川キサ
五七 同 帆苅周彌
五八 同 石塚治七
五九 同 市川文子
六〇 同 水留信
六一 同 市川サキ
六二 同 渡辺テイ
六三 同 鎌田建作
六四 同 中川トメ
六五 同 板倉ハツミ
六六 同 中川タミ
六七 同 鈴木勇
六八 同 渡辺ナミ
六九 同 加藤キソ
七〇 同 小嶋キヨミ
七一 同 斉藤新一郎
七二 同 鈴木ミヨシ
七三 同 皆川和男
七四 同 石井文作
七五 同 阿部繁昌
七六 同 阿部キヨ
七七 同 斎藤フジ
七八 同 浅井洋右
七九 同 佐久間七太郎
八〇 同 齋藤昭二
八一 同 浅見運吉
八二 同 浅見仁太郎
八三 同 神田イキ
八四 同 波多野キヨノ
八五 同 板屋越盛雄
八六 同 山口喜代治
八七 同 杉崎力
八八 同 杉崎定美
八九 同 長谷川芳男
九〇 同 江花豊栄
九一 同 江花新寿
九二 同 斎藤一二
九三 同 伊藤七郎
九四 同 伊藤種男
被告 昭和電工株式会社
右代表者代表取締役 村田一
被告 国
右代表者法務大臣 田原隆
代理人目録
一 原告ら訴訟代理人(訴訟復代理人を含む。)
弁護士 坂東克彦
同 片桐敬弌
同 小海要吉
同 平田亮
同 橋本保則
同 児玉武雄
同 川上耕
同 渡辺昇三
同 高野泰夫
同 清野春彦
同 中村洋二郎
同 坂上富男
同 川村正敏
同 藤巻元雄
同 大倉強
同 渡辺隆夫
同 砂田徹也
同 片桐敏栄
同 石附哲
同 近藤正道
同 今井誠
同 和田光弘
同 高橋勝
同 足立定夫
同 鈴木俊
同 松井道夫
同 鈴木勝紀
同 高島民雄
同 長島兼吉
同 今井敬弥
同 遠藤達雄
同 宮本裕将
同 中村周而
同 工藤和雄
同 味岡申宰
同 滝沢寿一
同 山本茂三郎
同 馬場泰
同 浦本貫一
同 中沢利秋
同 佐藤伍一郎
同 栃倉光
同 竹中敏彦
同 西清次郎
同 三角秀一
同 矢野博邦
同 高屋藤雄
同 加藤修
同 安武敬輔
同 三藤省三
同 小堀清直
同 大塚勝
同 千場茂勝
同 松本津紀雄
同 松野信夫
同 福田政雄
同 坂本恭一
同 村山光信
同 板井優
同 立山秀彦
同 大村豊
同 亀田徳一郎
同 蔵元淳
同 矢野競一
同 木沢進
同 黒田勇
同 山田博
同 野上恭道
同 金井厚二
同 加藤満生
同 林良二
同 梨木作次郎
同 野呂汎
同 増田博
同 馬奈木昭雄
同 葦名元夫
同 山本直俊
同 高田新太郎
同 飯野春正
同 矢島惣平
同 篠原義仁
同 内田茂雄
同 木村保男
同 豊田誠
同 鈴木堯博
同 土屋俊幸
同 小川芙美子
同 白川博清
同 中村正紀
同 宮田学
同 斎藤一好
同 畑山実
同 山本孝
同 中村雅人
同 尾崎俊之
同 朝倉正幸
同 管野兼吉
同 田中峯子
同 大島久明
同 淵脇みどり
同 田中健一郎
同 斉藤義雄
同 小林七郎
同 徳満春彦
同 和田裕
同 阿部哲二
同 入倉卓志
同 倉田大介
同 小島延夫
同 千葉肇
同 清水洋二
同 小林克信
同 高野義雄
同 山田寿
(原告五十嵐幸栄訴訟代理人)
同 犀川千代子
同 岡本敬一郎
同 白井劍
同 石川順子
同 森田茂夫
同 金子修
同 伊藤宏
二 被告昭和電工株式会社訴訟代理人
弁護士 鵜澤晉
同 成冨安信
同 板井一瓏
同 北原弘也
三 被告国指定代理人
飯村敏明
外四三名
別紙請求棄却原告目録の一
原告番号 原告
三二 徳原幹久こと玄致炯
八一 浅見運吉
八二 浅見仁太郎
別紙請求棄却原告目録の二
原告番号 原告
二一 高橋キヨシ
三〇 小泉友三郎
六八 渡辺ナミ
個別原告についての検討
第一原告五十嵐幸栄(原告番号一)
一疫学的事実について(<書証番号略>、原告)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
大正二年一一月二三日新潟市津島屋に生まれる。
大正一四年尋常小学校を卒業後父親の営んでいた農業に従事した。昭和八年から昭和二〇年まで新潟鉄工所に勤務し、終戦後再び農業に従事した。昭和二六年から昭和四〇年までは農業の傍ら漁業にも従事し、昭和二六年から昭和三〇年ころまでは海と阿賀野川で、昭和三〇年ころ以降は川漁だけに従事した。
昭和一二年七月、石山キミ(大正四年六月二〇日生)と結婚、三男二女をもうけている。
2 川魚喫食歴
幼少のころから阿賀野川の魚を常食として育った。昭和二六年から漁業にも従事し、特に昭和三〇年ころ以降は阿賀野川の川漁だけに従事していたので、昭和四〇年ころまで週四日程度、ウグイ、ニゴイ、ボラ、フナ、コイ等を食べた。
3 家族等の症状
妻キミが、昭和四七年九月に水俣病に認定された。
4 犬猫の異常
昭和三八年と昭和三九年の二回にわたり飼い猫が狂死した。
5 毛髪水銀値
昭和五二年申請の際の医学的検査結果表によれば、毛髪水銀値は放射化分析では九一ppm、原子吸光法では八〇ppmであった。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(<書証番号略>)
(一) 昭和五二年申請の際の所見
(1) 初回検診時の所見
左半身、右の下腹部から下肢及び右手に知覚障害があり、特に両下肢遠位部及び両手尺骨側に強く認められる。振動覚は外踝部で低下が認められる。口周囲感覚障害は認められない。
(2) 再検診時の所見
肛門周囲を除き右半身、左前腕背部と左の臀部及び下肢に、触覚及び痛覚障害が認められる。振動覚は外踝部で低下が認められるが、口周囲感覚障害は認められない。
(二) 昭和六一年申請の際の所見
ある検査では、両前腕から手及び両下腿から足に全知覚低下が認められ、特に手袋靴下型に強く認められる。加えて左前胸部から左腹部にかけても知覚低下が認められる。別の検査では、四肢において、右に加え両大腿部に触覚低下が認められるが、躯幹部の知覚障害は認められない。口周囲感覚障害は、ある検査で認められる。振動覚は、いずれの検査でも、外踝部では低下が認められる。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和五二年五月一一日斎藤診察時、四肢抹消性感覚障害(前腕二分の一、大腿から下腹に及ぶ)及び著名な振動覚低下が認められる。
昭和五五年一月三〇日斎藤診察時、四肢抹消性感覚障害(上腕二分の一、下腹部に及ぶ)が認められる。口周囲の感覚障害及び振動覚低下も認められる。
昭和五六年八月一八日白川診察時、四肢抹消性感覚障害(肘関節、股関節に及ぶ)が認められる。口周囲及び体幹中心部の感覚障害並びに振動覚低下も認められる。
昭和五七年五月一四日関川診察時、四肢抹消性感覚障害(肘関節、膝関節に及ぶ)及び振動覚低下が認められる。
昭和五九年一月一三日関川診察時、四肢抹消性感覚障害(手関節、足関節に及ぶ)及び振動覚低下が認められる。
昭和五九年八月二一日関川診察時、四肢抹消性感覚障害(上腕二分の一、下腹部に及ぶ)及び振動覚低下が認められる。
昭和六〇年六月四日関川診察時、四肢抹消性感覚障害(手関節、膝関節に及ぶ)及び下腹部中心部の感覚障害が認められる。
昭和六一年一月三一日関川診察時、四肢抹消性感覚障害(肘関節、膝関節に及ぶ)及び振動覚低下が認められる。
昭和六一年六月一三日関川診察時、四肢抹消性感覚障害(肩関節、大腿二分の一に及ぶ)が認められる。口周囲の感覚障害及び振動覚低下も認められる。
3 被告らの主張について
被告らは、本原告の感覚障害について、医学的検査結果表によれば、半身の感覚障害が昭和五二年申請の際の初回検診時には左、再検診時には右、昭和六一年申請の際の検診時には左と、左右入れ替わって出現しており、このような現象は器質的疾患の場合には考え難く、水俣病由来のものとすることはできない旨を主張している。
しかしながら、第三編の第二章の第五の二の2記載のとおり、半身性の感覚障害の部位が左右入れ替わってみられることは水俣病罹患の可能性を否定する理由とはならないというべきである。
4 四肢抹消性感覚障害を生じさせる他の疾患との鑑別について
被告昭和電工は、医学的検査結果表によれば、本原告には、昭和五二年申請の際の検診時にジャクソン試験陽性、X線所見上第五―六―七頸椎間に軽度の骨棘形成が認められており、この頸椎症性変化が感覚障害を生じさせ得る旨を主張している。
まず、頸椎症のうち単独で四肢の感覚障害を生じさせ得るのは頸椎症性脊髄症であるところ、医学的検査結果表によって本原告の昭和五二年申請の際の所見を検討すると、初回検診時には、深部反射ほぼ正常、特に下肢の深部反射の亢進はみられず、筋力ほぼ正常、病的反射陰性とされていること、再検診時にも、深部反射正常、病的反射陰性、神経内科の頸椎のX線所見も正常とされていること、さらに、整形外科の頸椎所見も(一)とされていることに鑑みると、第三編の第二章の第三の二の1の(二)記載の頸椎症性脊髄症との鑑別の指標に照して、本原告に頸椎症性脊髄症が存在する可能性は極めて低い。
次に、頸椎症性神経根症は腰椎症との合併によって四肢の感覚障害を生じさせ得るが、前記の深部反射、筋力、X線の各所見を第三編の第二章の第三の二の1の(三)記載の頸椎症性神経根症との鑑別の指標に照らすと、本原告に頸椎症性神経根症が存在する可能性も極めて低い。
なお、同被告は、医学的検査結果表によれば、本原告には、昭和五二年申請の際の検診時にX線所見上変形性腰椎症が認められており、これによって感覚障害が生じ得る旨をも主張しているが、仮に右のX線所見上認められる変形性腰椎症が神経症状を惹起しているとしても、これによっては上肢の感覚障害は生じないので、本原告の四肢の感覚障害の発症原因とすることはできない。
三結論
以上から、本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、水俣病患者が多数発生した阿賀野川流域の新潟市津島屋に居住し、阿賀野川の川魚を多食したこと、妻キミが水俣病認定患者であること、飼い猫が狂死したこと、昭和四〇年に測定された毛髪水銀値が高値を示していることなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められる上、四肢末梢性感覚障害が存在し、それが頸椎症性脊髄症または頸椎症性神経根症によるものである可能性は極めて低いので、水俣病に罹患しているものと認めることができる。
四損害額算定に当たって考慮すべき事情について
一ないし三の事情に加えて以下の事情が認められる(<書証番号略>、原告)。
1 自覚症状、生活上の支障等
昭和四五年ころから腰痛があり、昭和四八年ころから両手足にしびれを感じるようになった。
その後、畑の草を摘むのに手に力が入らなかったため、一日おきに新発田市の渋谷医院に通院して手足や肩の患部に皮下注射を打ってもらったり、新潟市山の下の岡田医院に通院し投薬を受けたが手先の感覚はなかった。冷感がひどくなって首や腰が痛みカイロを使うようになり、耳も遠くなった。昭和五一年五月及び昭和五二年に膝が痛むので木戸病院で診療を受けた。
現在、手足のしびれが持続しており、物がよく握れず、字を書くのに苦労し、耳鳴りが強く、頭がジンジンするような痛みがあり、話声が聞き取れない、電話の声が聞き取れない、両膝の痛みもひどくなり、座るのが難儀であり、腰は寒くなると冷えて、毎年九月から翌年五月までカイロを使い、目の疲れが激しく、読書も思うようにできず、めまいも時々ある。耳のきこえが悪くなったことから水俣病被害者の会の会長を辞任した。
2 他疾患等
(一) 認定申請の際の医学的検査結果表による所見
(1) 昭和五二年申請の際の所見
① 初回検診時の所見
X線検査により、第五―六―七頸椎間に軽度の骨棘形成が認められ、腰椎に変形性腰椎症が認められる。
② 再検診時の所見
X線検査により、第一―二―三腰椎間の椎間隔が狭いと認められる。
(2) 昭和六一年申請の際の所見
X線検査により、第四、第五頸椎に軽度の辷り症が認められ、腰椎に前方骨棘形成が認められる。
眼科検査により、両眼に初発白内障が認められる。
(二) <書証番号略>の診断書による所見
昭和五六年八月のX線検査により、第四―五頸椎の不安定が認められ、第五―六頸椎に骨棘形成が認められる。
第一九原告南サク(原告番号一九)
一疫学的事実について(<書証番号略>、原告)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
大正一五年八月一日新潟県北蒲原郡乙村大字桃崎浜に生まれる。生家は代々漁師で生計を立てていた。
昭和二三年二月六日、南宇助、キヨノの長男である南健次と結婚し、以来、新潟市下山に居住している。南家は代々半農半漁で生計を立てていたが、漁業は義父の宇助が中心となっていた。宇助は一年を通じて阿賀野川に毎日舟を出し、川魚をとっていたが、これをキヨノが行商して売り歩き、そこからあがる収入は重要な家計の支えとなっていた。夫健次は日雇仕事に出たり、農業に従事したりし、本原告は一家の主婦として家事や育児、農業の手伝い等に従事した。一男一女をもうけた。
2 川魚喫食歴
本原告は義父宇助が毎朝とってくるニゴイ、ウグイ、ボラ等の川魚を義母と料理し、毎日のように、刺身にしたり、焼魚にしたり、煮魚にして主菜として昭和三九年まで継続的に食べてきた。牛、豚などの肉類は殆ど食べず、川魚が主な蛋白源であった。
3 家族等の症状
義父の南宇助(明治三五年生)は、昭和三九年六月ころに急にしびれを訴え、原因不明のまま、最後は暴れもがき苦しみ昭和三九年一〇月二九日死亡した。昭和四六年の新潟地裁の判決により水俣病であるとされた。義母のキヨノは、昭和三九年一〇月ころより手足のしびれを訴え、昭和四九年七月二日に水俣病と認定された。夫の健次は、症状はあるが父、母の状態をみて水俣病といわれるのを恐れ、認定申請をしなかったが、今回の訴訟の原告となっている。
昭和四〇年六月二一日に採取された本原告の子供らの毛髪水銀値は左記のとおりである。
記
ジチゾン法 原子吸光法
長女 広子(昭和二八年生)
178.0 64.59
次女 恵子(昭和二九年生)
95.0 63.33
長男 隆則(昭和三四年生)
111.0 101.75
(単位ppm)
4 犬猫の異常
昭和三九年春と秋、飼い猫二匹がそれぞれ急に飛び上がったり痙攣を起こしたりした後、一匹目は行方不明となり、二匹目は白い眼を開けたまま死んだ。
5 毛髪水銀値
昭和四〇年六月に測定された毛髪水銀値が五八ppmであった。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和四九年申請の際の所見)(<書証番号略>)
(一) 初回検診時の所見
左の顔面を除く全身に知覚障害が認められ、四肢の遠位部にいくほど強くなる。外踝部の振動覚の低下が認められ、口周囲感覚障害も認められる。
(二) 再検診時の所見
右前胸部、右腹部から右大腿部にかけてと、右上肢と、左手に知覚障害が認められるが、口周囲感覚障害は認められない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和四九年四月二四日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害(右肩関節、左手関節、腹部に及ぶ)並びに口周囲及び右半身の感覚障害が認められる。
昭和四九年六月一七日白川診察時、四肢末梢性感覚障害(肘関節、腹部に及ぶ)並びに口周囲及び右半身の感覚障害が認められる。
昭和五一年三月三〇日広田診察時、四肢末梢性感覚障害(右前腕の二分の一、左手、腹部に及ぶ)及び口周囲の感覚障害が認められる。
昭和五一年八月九日白川診察時、四肢末梢性感覚障害(前腕の二分の一、胸部に及ぶ)が認められる。口周囲及び右半身の感覚障害並びに振動覚低下も認められる。
昭和五五年六月二八日関川診察時、四肢末梢性感覚障害(膝関節、右肩関節、左手に及ぶ)が認められる。口周囲及び右半身の感覚障害並びに振動覚低下も認められる。
昭和五五年一二月二四日白川診察時、四肢末梢性感覚障害(前腕の二分の一、腹部に及ぶ)が認められる。体幹中心部及び右半身の感覚障害並びに振動覚低下も認められる。
昭和五七年一月一九日白川診察時、四肢末梢性感覚障害(前腕の二分の一、腹部に及ぶ)が認められる。体幹中心部及び右半身の感覚障害並びに振動覚低下も認められる。
昭和五九年二月二八日関川診察時、四肢末梢性感覚障害(肩関節、腹部に及ぶ)が認められる。口周囲及び右半身の感覚障害並びに振動覚低下も認められる。
昭和五九年一〇月一六日関川診察時、四肢末梢性感覚障害(膝関節、肩関節に及ぶ)が認められる。口周囲の感覚障害及び振動覚低下も認められる。
昭和六〇年八月二六日原田正純診察時、四肢末梢性感覚障害(肘関節、膝関節に及ぶ)が認められる。
昭和六一年二月二一日関川診察時、四肢末梢性感覚障害(大腿の二分の一、肘関節に及ぶ)が認められる。右半身の感覚障害及び振動覚低下も認められる。
昭和六一年八月五日関川診察時、四肢末梢性感覚障害(左膝関節、右股関節、肩関節に及ぶ)が認められる。口周囲及び右半身の感覚障害並びに振動覚低下も認められる。
3 被告らの主張について
被告らは、医学的検査結果表によれば、本原告の感覚障害の部位が初回検診の時と再検診の時とで大きく変っており、特に再検診の時には四肢末梢型ではなく、このような短期間で広範な部位の変動は水俣病としては考え難い旨を主張している。
しかしながら、四肢等の感覚障害の部位に変動がみられることが水俣病罹患の可能性を否定する理由とならないことは第三編の第二章の第五の二の2記載のとおりである。そして、<書証番号略>によれば、右半身の感覚障害や口周囲の感覚障害が所見として把握できる場合とできない場合とがあるものの、一貫して四肢末梢性感覚障害の存在は認められているのであるから、本原告には四肢末梢性感覚障害が存在すると認めることができる。
4 四肢末梢性感覚障害を生じさせる他の疾患との鑑別について
被告昭和電工は、本原告は高血圧症であり、また、スパーリングテストから頸椎に異常もみられており、これらが感覚障害に影響を与えていることも考えられる旨を主張している。
まず、第三編の第二章の第三の二の4記載のとおり高血圧症から直ちに他覚的に捉えられる四肢の感覚障害が生じるとは認められず、本原告の感覚障害を高血圧症によるものとすることはできない。
次に、医学的検査結果表によれば、頸椎のX線所見はほぼ正常とされており、病的反射も陰性とされ、再検診時には深部反射も正常とされており、第三編の第二章の第三の二の1の(二)記載の頸椎症性脊髄症との鑑別の指標に照らして本原告に頸椎症性脊髄症が存在する可能性は極めて低い。
三結論
以上から、本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、水俣病患者が多数発生した阿賀野川流域の新潟市下山に居住し、阿賀野川の川魚を多食したこと、義父宇助及び義母キヨノが水俣病認定患者であること、昭和四〇年に測定された本原告及び子供らの毛髪水銀値がいずれも高値を示していたこと、飼い猫が狂死したことなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められる上、四肢末梢性感覚障害が存在し、それが頸椎症性脊髄症によるものである可能性は極めて低いので、水俣病に罹患しているものと認めることができる。
四損害額算定に当たって考慮すべき事情について
一ないし三の事情に加えて以下の事情が認められる(<書証番号略>、原告)。
1 自覚症状、生活上の支障等
昭和三九年ないし昭和四〇年ころから手足のしびれが始まった。次第に症状が悪化し、昭和四七年ころから右半身にしびれが生じた。昭和四九年ころは全身倦怠感強く、週に三日は寝ている状態となった。昭和五〇年ころは頭痛がひどく、横になって休んでいることが多かった。しびれは相変わらず強く、下駄が履けなくなった。昭和五六年夏ころから眼が悪くなり、右眼は失明状態、左眼は光凝固による治療を受けて不十分ながらも見える状態を維持している。そのほか、手の感覚がない、茶碗やコップを落とす、家の中でもぶつかる、物忘れ、身体が思うように動かない、スリッパを脱いだつもりが脱げていない、つまずくなど日常生活上の支障がある。
2 他疾患等
(一) 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和四九年申請の際の初回検診時の所見)
X線検査により、腰椎に軽度の変形が認められる。
(二) <書証番号略>の診断書による所見
既往歴として、高血圧症があり、また、右眼は網膜剥離によって失明し、左眼も網膜剥離となり光凝固による治療を受けた。
昭和五五年一二月二四日のX線検査により、第四―五―六頸椎に軽度の椎間板変性、軽度の骨棘形成が認められる。
昭和五七年一月一九日のX線検査により、第五―六頸椎に軽度の椎間板変性が認められ、腰椎に軽度の変形が認められる。
第二二原告木村満子(原告番号二三)
一疫学的事実について(<書証番号略>、原告)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
昭和一三年一二月五日新潟県岩船郡山北町に生まれる。父は土建業を営む。
昭和三五年に木村勲と結婚して以来新潟市松浜に居住。木村家は代々漁業を専業としていた。本原告は、夫勲の漁業を手伝う傍らとれた魚を行商して売った。夫勲は、勲の父兵七と海に出たり、海が荒れる時は川で漁をした。四月から九月末までは海漁であるが、河口での地引き網漁やひき釣り、あかひげ漁などをし、一〇月からサケ漁、一ないし三月はヤツメ、カニ網漁をしたが、一緒にウグイ、フナ、ニゴイ、ボラ等がとれた。
一男三女をもうけた。
2 川魚喫食歴
夫が漁師であるため、昭和三五年に結婚してから昭和四〇年ころまで、週に二、三回、秋から冬は毎日のようにウグイ、フナ、コイ、ハゼ、ボラ、ニゴイ、ヤツメ、川ガニ等を食べた。自分の所でとれない時は、義兄弟らからももらって食べた。
3 家族等の症状
夫の勲、同居の勲の祖父兵七、祖母スエ、母とす子がみな同じころ、四肢末梢性感覚障害などの水俣病の症状が出て、発病した。勲の勲の母とす子は水俣病と認定されたが、兵七は検査の終らぬうちに昭和四七年に死亡した。スエは腰が悪く歩行不自由で検査に通院できぬまま昭和五〇年に死亡した。
4 毛髪水銀値
昭和四〇年八月の一斉検診で63.5ppmと測定された。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和四八年申請の際の所見)(<書証番号略>)
両下肢に知覚障害が認められ、特に末梢部に強く認められる。また、両手指に軽い感覚障害が疑われる。外踝部の振動覚の低下が認められる。口周囲感覚障害は認められない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和四八年八月二日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和五七年一月一二日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和五九年四月二日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和六二年八月一八日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
3 被告らの主張について
(一) 被告国は、本原告の感覚障害について、医学的検査結果表によれば、両下肢には認められるが、手の感覚障害は疑われている程度であることなどから、水俣病によるものとは考え難い旨を主張している。
しかしながら、四肢の感覚障害に部位の変動がみられることが水俣病罹患の可能性を否定する理由とならないことは第三編の第二章の第五の二の2記載のとおりである。そして、<書証番号略>によれば、一貫して四肢末梢性感覚障害の存在が認められていることから、本原告に四肢末梢性感覚障害が存在すると認めることができる。
(二) 被告昭和電工は、本原告の感覚障害について、<書証番号略>に「触覚鈍麻は軽く、痛覚鈍麻は異常無し」と記載されており、その存在は極めて疑わしい旨を主張している。
しかしながら、医学的検査結果表には触覚鈍麻所見と痛覚鈍麻所見とが食い違う旨は何ら記載されておらず、<書証番号略>によれば、認定審査会も本原告に末梢神経障害が存することを認めていること、<書証番号略>によれば、一貫して四肢末梢性感覚障害の存在が認められていることに鑑みると、本原告には、触覚鈍麻と痛覚鈍麻とを含む四肢末梢性感覚障害が存在すると認めることができる。
三結論
以上から、本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、水俣病患者が多数発生した阿賀野川流域の新潟市松浜に居住し、阿賀野川の川魚を多食したこと、夫勲及び義母とす子が水俣病認定患者であること、同居していた夫の祖父母も四肢末梢性感覚障害などの水俣病症状を有していたこと、昭和四〇年に測定された毛髪水銀値が高値を示していることなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められる上、四肢末梢性感覚障害が存在しているので水俣病に罹患しているものと認めることができる。
四損害額算定に当たって考慮すべき事情について
一ないし三の事情に加えて以下の事情が認められる(<書証番号略>、原告)。
1 自覚症状、生活上の支障等
昭和四〇年八月、新潟水俣病公表直後の一斉検診で毛髪水銀値が63.5ppmあり、妊娠規制と二女浩美への授乳禁止を受けた。昭和四二年秋ころから腰痛、手足のしびれ、目がぼけるなどの症状が生じた。昭和四五年ころから耳鳴り、倦怠感も強くなる。昭和四八年ころは、常時頭がもんもんとする、両下腿がつる、物忘れ、計算力低下、四肢関節痛、寒がり、めまい、動悸、立ちくらみ、食欲不振などの自覚症状があり、これらの症状は現在でも変わらず、年に一、二回めまいがひどく寝込むことがある。
2 他疾患等
<書証番号略>の診断書による所見
既往歴として、昭和五〇年と昭和六一年に認められた胃潰瘍がある。
第三〇原告徳原幹久こと玄致炯(原告番号三二)
一疫学的事実について(<書証番号略>)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
明治四四年一二月二八日韓国済州島に生まれる。韓国籍を有し、一四歳ころ来日した。職を転々とした後、昭和二六年(四〇歳)ころ、新潟市秣川岸に来て、屋台の焼鳥屋を営み、夏は浜茶屋を出した。昭和三二年(四六歳)ころから、同市米山や天神で中華ソバ屋を経営、不動産屋にも勤めた。現在は無職である。
二度結婚をし、それぞれ三子をもうけたがいずれも離婚した。
2 川魚喫食歴
昭和三〇年ころから、同棲をはじめた福井タノの兄福井勝治(本件訴訟の原告)や行商人から阿賀野川の魚を買ったり、もらったりして、昭和四六年ころまで、フナ、ヤツメ、ライギョなどを週に二、三回くらい食べた。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見<書証番号略>
(一) 昭和四九年申請の際の所見
両下腿と両足及び両上肢末梢部に知覚障害が認められる。口周囲感覚障害は認められない。振動覚は外踝部で〇秒、膝蓋骨で一ないしこ秒で低下が認められるが、橈骨茎状突起では正常である。
(二) 昭和六〇年申請の際の所見
両前腕と手及び下腹部並びに臀部から両下肢に知覚鈍麻が認められ、四肢遠位部に強く認められる。口周囲感覚障害は認められない。下肢の振動覚は〇ないし二秒と低下が認められている。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和四九年一月九日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和五六年一一月一一日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和五七年一月一二日白川診察時、四肢末梢性感覚障害、口周囲の感覚障害及び右半身の感覚鈍麻が認められる。
昭和五七年七月二〇日白川診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和五九年三月一九日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害及び体幹中心部の感覚障害が認められる。
昭和六〇年五月二七日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害及び口周囲の感覚障害が認められる。
昭和六〇年八月二六日原田診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。臍下一〇センチメートル以下にも感覚鈍麻が認められる。
昭和六二年七月二日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。口周囲の感覚障害及び右半身の感覚鈍麻も認められる。
三検討
本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、いずれも阿賀野川流域からは距離のある新潟市秣川岸、同市米山、同市天神に居住し、職業も右の居住地において飲食店を営むなど阿賀野川とは無関係のものであったこと、川魚も他人からもらったり買ったりして入手したに過ぎないこと、家族にも水俣病症状を有する者はいないことなどに鑑みると、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認めることはできない。
そこで、四肢末梢性感覚障害と併せて他の神経症候をも考慮して水俣病罹患の有無を判断する。
<書証番号略>には、昭和四九年一月九日から昭和六二年七月二日までの診察所見が記載されているが、神経内科的検査結果の詳しい内容が記載されているのは、そのうちの七回の診察についてであり、耳鼻科的検査結果が記載されているのは一回の診察のみである。七回の神経内科的検査のうち、ジアドコキネーシスは四回陽性、指鼻試験は一回拙劣緩徐、膝踝試験は一回陽性とされ、ロンベルグ試験は三回陽性、一回検査不能、マン試験は二回陽性、一回検査不能、片足立ち試験は三回陽性、一回検査不能とされ、また、言語障害については、一回やや言語不明瞭、一回言語不明瞭とされ、視野については、一回視野狭窄が疑われ、二回視野狭窄が認められるとされている。耳鼻科的検査では、平均聴力は右65.0デシベル、左50.2デシベルで聴力像は高音斜降型であるとされ、視標追跡検査は水平方向ややサッカディック、垂直方向サッカディックとされ、視運動性眼振検査は水平方向やや抑制、垂直方向抑制とされている。
医学的検査結果表による所見は以下のとおりである(<書証番号略>)。まず、昭和四九年申請の際の所見は次のとおりである。神経内科検査では、ジアドコキネーシスは右左とも緩徐、指鼻試験は右左とも異常であるが疑わしい、膝踵試験は右異常、左正常とされ、片足立ち試験は右左とも不能、ロンベルグ試験は異常であるが疑わしい、マン試験は異常であるが疑わしいとされている。眼科検査では、ゴールドマン視野は正常であるとされている。耳鼻科検査では、平均聴力は右二五デシベル、左二〇デシベルで聴力像は右左とも高音斜降型であるとされ、視運動性眼振検査は、水平方向は正常、垂直方向は下向き抑制と上向き眼振方向優位性とされ、他の眼振検査及び視標追跡検査はいずれも正常とされている。次に、昭和六〇年申請の際の所見は次のとおりである。神経内科検査では、ジアドコキネーシスはある検査では右左とも正常、別の検査では右左とも少し緩徐、指鼻試験は右左とも正常、膝踵試験はある検査では右左とも正常、別の検査では右左ともやや異常とされ、片足立ち試験は右左とも異常、ロンベルグ試験は異常、マン試験は異常とされ、言語障害についてはある検査では障害なし、別の検査では軽度の構音障害が認められるとされ、対座法で視野は正常であるとされている。眼科検査では、ゴールドマン視野は正常であるとされている。耳鼻科検査では、平均聴力は右五五デシベル、左五一デシベルで聴力像は右左とも高域漸傾型であるとされ、視運動性眼振検査は、水平方向はほぼ正常、垂直方向は軽度抑制とされ、前庭反応検査は、右半規管機能低下が疑われるが、眼振方向優位性と固視による前庭性眼振抑制効果欠如は認められないとされ、その他の眼振検査及び視標追跡検査は正常とされている。
以上の診察検査結果及び二記載の感覚障害所見を総合すると、本原告は、四肢末梢性感覚障害及び中等度の難聴の存在は認められるものの、協調運動障害、平衡機能障害、言語障害及び救心性視野狭窄のいずれについてもその存在を肯定するには十分な所見が得られておらず、他に積極的に水俣病と認めるに足りる証拠がないので、水俣病に罹患していると認めることはできない。
第四一原告加藤信一(原告番号四三)
一疫学的事実について(<書証番号略>、原告)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
昭和九年八月一日新潟県北蒲原郡水原町上江端に生まれる。出生当時、父は昭和電工鹿瀬工場の工員として、単身赴任していたが、昭和一一年、本原告は母と共に、父のいる鹿瀬町へ移った。鹿瀬町では、父は、仕事の傍ら川舟で阿賀野川の魚を毎日のようにとっていた。本原告は中学校を卒業後、加茂市の木工試験所の見習生となり、夜間は県立加茂農林学校に通った。三年で見習生を終えると、加茂農林学校も中退し、村上、加茂、その他で家具製造の職人として働いた。昭和三二年に母と弟達は父を鹿瀬町に残して水原町大字分田に移った。翌三三年に本原告も母のもとに帰り、分田で二、三年間、砂利採集業者に雇われて砂利船の乗組員となった。本原告は、昭和三八年ころから分田で、家具製造業を営んだが、昭和四五年に辞め、その後、水沢家具店に勤めて現在に至る。昭和三五年に結婚したが、まもなく離婚し、昭和三七年に再婚、三女をもうけた。実母も同居している。
2 川魚喫食歴
鹿瀬町にいたころ、父は川舟を持っており、阿賀野川の魚を毎日のようにとっていたので、本原告は小さいころから、昭和二五年に中学校を卒業して加茂へ行くまで、川魚を食べていた。また、昭和三三年に分田に移った後は、昭和四〇年ころまで、自分で延縄、投網、釣りなどで、ニゴイ、ウグイ、フナ、ナマズ、カニをとり、自分でとらない時も、伯父加藤傳作(本件訴訟の原告)や叔父加藤作太郎(水俣病認定患者)からもらって、四季を問わず週に数回程度食べた。
3 家族等の症状
父信は昭和四七年に死亡したが、生前、手足のしびれ、体のふるえがあり、茶碗がもてなかった。母アキノは手足のしびれなどがあり、水俣病の認定申請を行ったが棄却された。
4 犬猫の異常
昭和四〇年に飼い犬が狂死した。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五二年申請の際の所見)(<書証番号略>)
左半身と右前腕、手と右下腿、足に感覚障害が認められ、ある検査では口周囲感覚障害が認められ、別の検査では認められない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和五二年三月二日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害及び口周囲にも感覚障害が認められる。
昭和五二年七月一二日片桐診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和五二年八月八日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害及び口周囲にも感覚障害が認められる。
昭和五七年二月一五日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害並びに口周囲、体幹中心部及び左半身にも感覚障害が認められる。
昭和六一年一二月一日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害並びに口周囲及び体幹中心部にも感覚障害が認められる。
昭和六二年六月二九日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
3 被告らの主張について
被告昭和電工は、本原告の感覚障害について、医学的検査結果表によれば、右側は上下肢の末端部にみられるが、左側は半身全体であり、水俣病に通常みられる感覚障害とは異なるものである旨を主張している。
しかしながら、水俣病患者の多くの者に半身性の感覚障害がみられ、半身性の感覚障害がみられることが水俣病罹患の可能性を否定する理由とならないことは第三編の第二章の第五の二の1記載のとおりである。
三結論
以上から、本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、水俣病患者が多数発生した阿賀野川流域の新潟県北蒲原郡水原町大字分田に居住し、阿賀野川の川魚を多食したこと、父信及び母アキノが手足のしびれなどの水俣病症状を有していること、飼い犬が狂死したことなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められる上、四肢末梢性感覚障害が存在しているので、水俣病に罹患しているものと認めることができる。
四損害額算定に当たって考慮すべき事情について
一ないし三の事情に加えて以下の事情が認められる(<書証番号略>、原告)。
1 自覚症状、生活上の支障等
昭和三七、八年ころから両手足のしびれ、頭重、耳鳴り、口中の異常感覚、疲労感が出現し、持続するようになった。手先の不自由が強まり、釘をうまく打つことができなくなり、家具製造業をやめ、昭和四五年から水沢家具店に勤める。昭和四七年ころ、言葉のもつれ、下肢の筋肉がぴくぴくしたり、寒がりになり、夜間、水をかけられたような寒気がしたり、めまいのため寝込むこともあった。昭和四八年ころには、物がぼけてみえる、ボタンかけもよくできない、手の振せん、物忘れ、計算力低下、下肢の筋肉痛、筋のぴくつき、寒がり、易疲労性、全身倦怠、匂いが分からない、性欲低下などがあった。現在も、手足のしびれ、耳鳴り、頭痛、足が重い、手足の冷感、めまい、物忘れ、疲れやすいなどの症状がある。
2 他疾患等
(一) 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五二年申請の際の所見)
既往歴として、第五腰椎の椎間板へルニアがある。
X線検査により、頸椎に頸椎症的な変化が認められ、腰椎に椎間板ヘルニアに対する手術跡が認められる。
(二) <書証番号略>の診断書による所見
既往歴として、昭和三六年に手術を受けた椎間板ヘルニアがある。
第五〇原告大嶋與四一(原告番号五二)
一疫学的事実について(<書証番号略>)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
大正七年一月一日新潟県北蒲原郡安田町大字保田に生まれる。生家は阿賀野川から二〇〇メートルくらい離れた場所に位置し、農業を営んでいた。
昭和五年に小学校を卒業すると、農業に従事したが、一〇月から四月末までの農閑期には、毎日のように小舟に乗り、砂利の採取と運搬をしながら、阿賀野川の魚もとってきた。五月から九月末までは週二、三日くらいは阿賀野川の魚を釣ったり投網でとっていた。また、この間七月からのアユの解禁時期には、深夜の二時ころまで毎日、アユをとりにいった。昭和一五年、清野ヨシノと結婚し、二男三女の五人の子をもうけた。昭和四五、六年ころから、四肢のしびれのため耕うん機を使えなくなり、他人に田植えや稲刈りを頼むようになった。昭和五〇年ころまでに田を六反くらい残してあとは売った。
2 川魚喫食歴
阿賀野川沿いの部落で生まれ、子供の時から昭和四七年ころまで、自分でとったり、近所や妻の実家からもらったり、次男がとってきたりして、週に三、四日多いときは毎日、阿賀野川のニゴイ、ウグイ、オイカワ、ナマズ、アユ、コイ、フナ、サケなどを焼いたり、煮つけたり、大きいものは刺身などにして食べた。
3 家族等の症状
妻大嶋ヨシノは、四肢末梢性感覚障害などの症状を有し、水俣病の認定申請をしたが棄却され、本件訴訟の原告となっている。次男松夫及び長女ナツ子も手足のしびれなどを訴えている。父大嶋市太郎は、昭和四三年ころ死亡したが、死ぬ二、三年前くらいは手足のしびれ、よく歩けない、食事をこぼす、難聴、耳鳴り等を訴えていた。昭和三四年まで同居していた弟の浅井洋右は本件訴訟の原告となっている。
4 犬猫の異常
昭和三八年ころ、川魚を与えていた飼い猫が、口からよだれを流し、走ってぶつかったり、足を振ったり、身体をフラフラさせていたが、一週間くらいで死んだ。また、次に飼った猫も、昭和四〇年ころ、同様の症状を呈していろりの中に飛び込んで死んだ。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五二年申請の際の所見)(<書証番号略>)
左顔面、右躯幹、右前腕橈骨側及び右下肢に感覚障害と外踝部の振動覚の低下が認められる。ある検査では、左下腿部に感覚障害がみられる時もある。口周囲感覚障害が、ある検査では疑われ、別の検査では認められない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和五二年三月九日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
昭和五三年三月二九日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害が疑われる。
昭和五七年二月一六日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害及び右半身にも感覚障害が認められる。
昭和五八年九月二八日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害及び右半身にも感覚障害が認められる。
3 被告らの主張について
被告らは、本原告の感覚障害について、医学的検査結果表によれば、左下肢の感覚障害が出現したり消失したりして一貫性がなく、右側のみの感覚障害は水俣病によるものとは考えられない旨を主張している。
しかしながら、四肢の感覚障害に部位の変動がみられること、半身性の感覚障害がみられることが、いずれも水俣病罹患の可能性を否定する理由とはならないことが第三編の第二章の第五の二記載のとおりである。そして、<書証番号略>によれば、本原告にはほぼ一貫して四肢末梢性感覚障害の存在が認められていることに鑑みれば、本原告には四肢末梢性感覚障害が存在すると認めることができる。
三<書証番号略>について
被告らは、<書証番号略>及び<書証番号略>によれば、本原告は、病理解剖の結果、大脳及び小脳には病変が認められず、水俣病とはいえないとされている旨を主張している。
しかしながら、<書証番号略>及び<書証番号略>をもって、本原告の水俣病罹患を否定することには以下の疑問があり、被告らの右主張を採ることはできない。
まず、<書証番号略>は、<書証番号略>の三一番YOは本原告に該当するとしている。しかし、右の特定は、新潟県及び新潟市に備えつけられた水俣病認定申請者名簿に基づき、申請者のイニシャル、出生年(剖検時の年齢から逆算)及び性別によって該当者を検索して行ったとしており、本原告であると特定するについて必ずしも十分な根拠に基づくものとはいえない。
また、<書証番号略>における病理所見の意味について、証人生田は、「+」の所見とは、局在性があること、例えば、大脳の好発部位(中心前回、中心後回、鳥距野、横回)に他の部位に比較して強調された病変が認められることを意味する旨を証言している。したがって、「−」の所見とはそのような局在性が認められないという意味であって、病変が存しないという意味ではなく、好発部位に病変が存しても、同時に他の部位にも病変が存して局在性が不明である場合にも「−」の所見とされていることがあると解される。<書証番号略>には病理所見の詳細について触れるところがなく、<書証番号略>の「−」所見の記載のみから、大脳及び小脳に病変が認められなかったとして水俣病の罹患を否定することはできないというべきである。
四結論
以上から、本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、水俣病患者が多数発生した阿賀野川流域の新潟県北蒲原郡安田町大字保田に居住し、阿賀野川の川魚を多食したこと、妻ヨシノが四肢末梢性感覚障害などの水俣病症状を有して本件訴訟の原告になっていること、次男松夫及び長女ナツ子も手足のしびれなどの水俣病症状を有していること、飼い猫が狂死したことなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められる上、四肢末梢性感覚障害が存在しているので、水俣病に罹患しているものと認めることができる。
五損害額算定に当たって考慮すべき事情について
一ないし四の事情に加えて以下の事情が認められる(<書証番号略>)。
1 自覚症状、生活上の支障等
昭和四五、六年ころから手足のしびれがあり、力が入らなくなった。下肢は膝から下がしびれ、足がもつれるようになった。以前から少し耳が遠かったが、このころから難聴、耳鳴りが一層強まった。目もおぼろになり、手指の振せん、手先の不自由があり、食事もよくこぼす、喋り難い等の症状があった。昭和五一年ころの自覚症状は、前記の他、頭痛、物忘れ、感情の抑制力の低下、筋肉痛、膝関節痛、筋肉がピクピクする、動悸、立ちくらみ、息切れ、易疲労性、全身倦怠などであった。これらの自覚症状はその後も継続し、難聴が少しずつ強まった。
2 他疾患等
(一) 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五二年申請の際の所見)
X線検査により、腰椎に変形が認められる。
眼科検査により、右眼に角膜片雲が認められ、網膜血管硬化症(S―I)が認められる。
(二) <書証番号略>の診断書による所見
既往歴として、昭和一六年ころからの中耳炎と難聴がある。
X線検査により、第四―五頸椎の椎間狭少化、第四頸椎に前方骨棘が認められ、腰椎に軽度の側湾、第二、三、四腰椎に側方骨棘、第二―三―四腰椎に椎間狭少化が認められる。
第七八原告浅見運吉(原告番号八一)
一疫学的事実について(<書証番号略>)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
大正六年三月二八日新潟県東蒲原郡三川村石戸に生まれる。
昭和一二年から昭和二〇年まで軍隊生活を送り、昭和二一年に帰郷後は昭和五三年まで農業及び製炭業に従事した。昭和五四年以降は手足がきかなくなって仕事はしていない。
2 川魚喫食歴
軍隊から帰ってきて以来、妻の実家の石川惣太郎や姉の夫の浅見仁太郎などの親戚からもらったり、自分で釣ったりして、ウグイ、ニゴイ、フナ、ナマズ、アユ、ヤツメなどを、昭和二二年四月から昭和三九年一〇月までの間、週に一回から二回、月に五日程度、一日に一〇〇グラムくらい食べた。
3 家族等の症状
父又一郎は死亡前は足を引きずって歩き、縁側を歩くとき何度も転んでいた。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五〇年申請の際の所見)(<書証番号略>)
(一) 初回検診時の所見
下半身と上肢末梢部に遠位部に強い知覚障害と外踝部の振動覚の低下が認められる。口周囲感覚障害は認められない。
(二) 再検診時の所見
右前腕部から右手に尺骨側と下肢末梢部に知覚障害が認められる。口周囲感覚障害は認められない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和五〇年六月二五日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害及び振動覚低下が認められる。
昭和五六年七月二九日白川診察時、下肢特に下腿に強い感覚障害が認められ、振動覚低下も認められる。
昭和五九年六月一五日富樫診察時、下肢に末梢性感覚障害及び体幹中心部にも感覚障害が認められる。
三検討
本原告は、農業と製炭業を営んでいた者であって、阿賀野川の川魚は主に親戚からもらったり自分で釣ったりして入手していたに過ぎず、川魚の喫食頻度及び喫食量も昭和二二年四月から昭和三九年一〇月までの間、週に一回から二回、月に五日程度、日に一〇〇グラムくらい喫食していたに過ぎない。また、<書証番号略>及び<書証番号略>によれば、昭和四四年一二月八日八八歳で死亡した父又一郎が死亡前、足を引きずって歩いていたことが認められるが、高齢であり、他の水俣病症状は不明であって、右症状が水俣病によるものか不明であること、他方、同居している家族内に水俣病認定患者は存せず、妻子にも身体の変調を訴える者はいないことから、家族に水俣病症状が集積しているとは認められない。以上から、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認めることはできない。
そこで、四肢末梢性感覚障害と併せて他の神経症候をも考慮して水俣病罹患の有無を判断する。
<書証番号略>によれば、四回の診察において、ジアドコキネーシスは三回緩徐であり、マン試験は一回閉眼で陽性、二回陽性であり、片足立ち試験は一回閉眼で不能、一回不能であり、一回言語障害あり、舌運動緩徐とされ、一回視野周辺のぼけあり、一回右視野外側欠損(左失明)とされ、一回難聴とされている。
医学的検査結果表による所見は次のとおりである(<書証番号略>)。神経内科検査では、初回検診時には、ジアドコキネーシスは異常、指鼻試験及び膝踵試験の結果はいずれもやや異常、片足立ち試験は異常、ロンベルグ試験は動揺、構音障害の疑い、対座法で視野異常とされているが、再検診時には、ジアドコキネーシスはやや異常で緩徐だが、指鼻試験、膝踵試験及びタッピングの結果はいずれも正常であり、膝踵試験は不全麻痺様であり、片足立ち試験は強異常、ロンベルグ試験は正常であるとされ、また、言語障害なしとされている。眼科検査では、ゴールドマン視野計による視野検査は測定不能とされている。耳鼻科検査では、両耳軽度難聴であるが、視標追跡検査は正常であり、眼振検査も全て正常であるとされている。
以上の診察検査結果及び二記載の感覚障害所見を総合すると、本原告は、四肢末梢性感覚障害及び軽度の難聴の存在は認められるものの、協調運動障害、平衡機能障害、言語障害及び求心生視野狭窄のいずれについてもその存在を肯定するには十分な所見が得られておらず、他に積極的に水俣病と認めるに足りる証拠がないので、水俣病に罹患していると認めることはできない。
第七九原告浅見仁太郎(原告番号八二)
一疫学的事実について(<書証番号略>)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
明治四一年六月二〇日に生まれる。
小学校を卒業後、父の製炭業を手伝い、昭和四五年まで製炭業に従事した。本原告及び父仁吉は共に魚が好きで、これをとることが多かったこともあり、漁業組合には設立当初から加入し、昭和五〇年ころまで組合員であった。新潟県東蒲原郡三川村石戸に居住する。
2 川魚喫食歴
本原告と父仁吉は、春から秋まで毎日網で魚をとり、ニゴイ、ウグイ、ナマズ、ヤツメウナギなどを食べた。昼は弁当のおかずに、夜は酒の肴に、焼いたり、煮たりして食べ、近所に分けてやることもあった。このようにして、昭和二〇年ころから昭和四五年ころまで、ほとんど毎日、一日一五尾くらい食べた。
3 家族等の症状
妻ヨシミ(明治四四年五月二四日生)は、昭和四七年ころから手足のしびれ、右手指が関節のところで曲がり、また、左足が昭和五五年ころから極端に外側に湾曲したためにまっすぐに歩けない、足が冷たく夜目をさますと二、三時間寝つけない、物忘れするなどの症状がある。
4 犬猫の異常
飼い猫は、二匹とも魚を食べさせていたが、腰がきかなくなり、ふらふらの状態になって死んだ。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五〇年申請の際の所見)(<書証番号略>)
感覚障害については、外踝部の振動覚の低下が認められ、口周囲感覚障害は認められないが、その他の表在感覚については判定できない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和五〇年八月一三日斎藤診察時、全身に感覚障害が認められる。
昭和五七年三月三〇日富樫診察時、下肢に末梢性感覚障害が認められる。
三検討
本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、阿賀野川の川魚を多食したこと、妻ヨシミが手足のしびれなどの水俣病症状を有していること、飼い猫が狂死したことなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められる。しかしながら、医学的検査結果表においても<書証番号略>においても四肢末梢性感覚障害の存在は明らかではない。
そこで、他の神経症候をも併せ検討する。
<書証番号略>によれば、三回の診察において、ジアドコキネーシスは拙劣、緩徐、極めて拙劣であり、指鼻試験は閉眼で陽性、不正確、拙劣であり、膝踵試験は一回のみ不正確であり、マン試験は二回陽性であり、ロンベルグ試験は一回のみ陽性であり、片足立ち試験は二回不能であるとされ、また、一回発語が緩徐で聞きとりにくいとされ、視野については一回狭窄(中心性)あり、二回外側にぼけがあるとされている。
医学的検査結果表による所見は以下のとおりである(<書証番号略>)。神経内科検査では、ジアドコキネーシスは異常であるが、指鼻試験は検査不能、膝踵試験は脱力のために検査できず、マン試験及び足踏み試験はいずれも不能であるが、ロンベルグ試験は正常、言語障害なし、対座法でやや視野狭窄があるかもしれないとされている。眼科検査では、ゴールドマン視野は正常であるとされている。耳鼻科検査では、両耳に軽度難聴が認められ、不規則方向交代性眼振などが認められるが、視標追跡検査、視運動性眼振検査及び前庭反応検査は全て正常であるとされている。
以上の診察検査結果を総合すると、本原告は、軽度の難聴の存在は認められるものの、協調運動障害、平衡機能障害、言語障害及び求心性視野狭窄のいずれについてもその存在を肯定するには十分な所見が得られておらず、他に積極的に水俣病と認めるに足りる証拠がないので、水俣病に罹患していると認めることはできない。
第八二原告板屋越盛雄(原告番号八五)
一疫学的事実について(<書証番号略>)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
明治四一年三月二日新潟県東蒲原郡三川村大字小石取に生まれる。
小学校卒業後、父と共に製炭業に従事していた。昭和三年から二年間兵役に服し、昭和一一年から九年間青年学校の指導員を務め、昭和二〇年一月応召し八月まで朝鮮北部で兵役に服した。帰郷後は再び製炭業に従事したが、昭和四九年に体調が悪く仕事を離れた。昭和三五年に現在の妻セキと結婚した。
2 川魚喫食歴
昭和二〇年代半ばころから阿賀野川漁協組合員になり、刺網で川魚をとったり釣ったりし、昭和四七年ころまで週に一日ないし三日程度、サケ、マス、ウグイ、ニゴイ、フナ、アユ、ニジマス、コイなどを、一日に二、三尾あるいは一五〇グラムくらい食べ、特に昭和三九年の地震後は多く食べた。
3 家族等の症状
妻セキは、目のかすみ、手足の軽いしびれを有し、水俣病の認定申請をしたが棄却された。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五〇年申請の際の所見)(<書証番号略>)
四肢末梢部に手袋靴下型の知覚鈍麻と振動覚の低下が認められる。口周囲感覚障害は認められない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和四八年二月一三日斎藤診察時、四肢末梢性感覚障害(橈骨、脛骨側に強い)が認められる。
昭和五六年七月二八日白川診察時、四肢末梢性感覚障害及び振動覚低下が認めれる。
昭和六一年九月九日富樫診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。
3 四肢末梢性感覚障害を生じさせる他の疾患との鑑別について
<書証番号略>によれば、本原告には頸椎症性脊髄症が存在すると認められるので、本原告の四肢末梢性感覚障害が頸椎症性脊髄症のみによるものか、あるいは、水俣病の影響によって生じていると認め得るかが問題となる。
医学的検査表及び<書証番号略>によれば、本原告の頸椎症性脊髄症は認定申請のための検診の後に発症した可能性があること、本原告には中等度の難聴及び眼振が存在しているが、本原告の頸椎症性脊髄症では難聴や眼振は生じないことが認められる。そして、本原告には、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、水俣病患者が多く発生した阿賀野川流域の新潟県東蒲原郡三川村大字小石取に居住し、阿賀野川の川魚を多食したこと、妻セキが手足のしびれなどの水俣病症状を有していることなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められること、右の検診時に既に四肢末梢性感覚障害が存在していたこと、難聴及び眼振はいずれも水俣病によって生じる特徴的な神経症候であり、これらが他の疾患によるものと窺わせる証拠がないことを考え併せると、本原告の四肢末梢性感覚障害が、水俣病の影響によって生じていると認められる。
三結論
以上から、本原告は、水俣病に罹患しているものと認めることができる。
四損害額算定に当たって考慮すべき事情について
一ないし三の事情に加えて以下の事情が認められる(<書証番号略>)。
1 自覚症状、生活上の支障等
昭和四一年ころから耳鳴りが始まり、昭和四四年ころからめまい、手足のふるえがあって字が書きにくくなった。昭和四七年ころには四肢末梢のしびれ、冷感が加わり、上腕の筋肉にピクツキが感じられるようになった。歩行中に物につまずきやすくなったり、眼がかすむようになった。昭和五三年に両耳の感音難聴で身体障害者の認定を受けた(一種六級の一)。現在、末梢に強い四肢のしびれ、感覚鈍麻があり、不眠、手のふるえ、耳鳴り、肩、腰痛、物忘れしやすい、難聴、手足のカラス返りが生じやすいなどの症状がある。
2 他疾患等
(一) 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和五〇年申請の際の所見)
X線検査により、第四―五―六―七頸椎に脊椎症、軽度骨棘形成が認められ、第一二腰椎に変形が認められる。
眼科検査により、両眼に初発白内障、網膜血管硬化症(S―I)が認められる。
(二) <書証番号略>の診断書による所見
昭和六一年九月九日のX線検査により、第四―五―六頸椎に右に強い椎間孔狭少、骨棘形成が認められ、腰椎に骨棘形成が認められる。
(三) <書証番号略>の意見書による所見
頸椎症性脊髄症が認められる。
第八八原告江花新寿(原告番号九一)
一疫学的事実について(<書証番号略>)
1 生活歴(生年月日、居住歴、職業等)
昭和六年九月四日新潟県東蒲原郡鹿瀬町大字鹿瀬に生まれる。生家は代々船頭であった。
昭和一九年に向鹿瀬小学校卒業後、一時、製炭業や昭和電工の季節労働者として働いた後、父豊松と阿賀野川で木炭運搬の業務をし、昭和二四年から昭和二七年まで佐伯組で建設工事に従事した。昭和三四年からとび職の仕事をして、昭和三六年にリウマチで倒れるまで働いた。昭和三一年に妻良子と結婚し、一男一女をもうけた。昭和三三年まで兄江花豊栄の家族と同居していたが、その後、家を新築して鹿瀬町字西前に移り、更に昭和四二年に同町大管へ転居した。
2 川魚喫食歴
昭和三六年にリウマチが発病するまでは、父豊松、兄豊栄と共に川魚をとり、ウグイ、ニゴイ、フナ、アユなどを食べた。発病後も漁をしたり、豊栄からもらって川魚を食べた。小学生のころから昭和三六年ころまで、フナ、ウグイ、ニゴイ、マス、サケなどを週に四日、一日一、二尾程度食べ、その後もリウマチに魚が効くということで、昭和四一年ころまで、川魚をほとんど毎日のように食べた。
3 家族等の症状
昭和三三年まで同居しその後も川魚をもらっていた兄豊栄は、四肢末梢性感覚障害などを有し、本件訴訟の原告となっている。
妻良子は、昭和四二年ころから両手の前腕にしびれが生じ、昭和五二年八月にくも膜下出血で倒れ、手術を受けて回復したが、手足の指にいつも何かついているような感じを訴え、足のからす返りに悩んでいる。娘美枝子も頭痛に悩んでいる。
二感覚障害について
1 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和四八年申請の際の所見)(<書証番号略>)
左顔面と四肢に遠位部に強い感覚障害が認められる。口周囲感覚障害は認められない。
2 <書証番号略>の診断書による所見
昭和五七年三月二〇日関川診察時、四肢末梢性感覚障害が認められる。口周囲の感覚障害及び振動覚低下も認められる。
三結論
以上から、本原告は、昭和三〇年代から昭和四〇年代に、水俣病患者が多数発生した阿賀野川流域の新潟県東蒲原郡鹿瀬町に居住し、阿賀野川の川魚を多食したこと、妻良子が両手のしびれなどの水俣病症状を有していること、兄豊栄が四肢末梢性感覚障害などの水俣病症状を有し、本件訴訟の原告となっていることなど、メチル水銀の暴露蓄積を推認させる疫学条件が高度であると認められる上、四肢末梢性感覚障害が存在しているので、水俣病に罹患しているものと認めることができる。
四損害額算定に当たって考慮すべき事情について
一ないし三の事情に加えて以下の事情が認められる(<書証番号略>)。
1 自覚症状、生活上の支障等
昭和三六年ころから関節リウマチに罹り、痛みのため歩けなくなり、入院したりして松葉杖で歩けるようになったが、昭和四一年ころから、めまい、手足のしびれ、肩こり、頭痛が現れた。また、視力低下、指先の細かい動きが悪くなってボタンかけが出来なくなる、字が書けなくなる、長く話していると舌がもつれてくる、両腕、両下肢の筋肉のこわばり、筋肉のぴくつきなどの生活上の支障が生じている。
2 他疾患等
(一) 認定申請の際の医学的検査結果表による所見(昭和四八年申請の際の所見)
X線検査により、第五―六頸椎に不安定が認められる。
(二) <書証番号略>の診断書による所見
既往歴として、昭和三六年から罹患したリウマチがある。
昭和五七年三月二〇日のX線検査により、第四―五、第五―六頸椎にディスク狭少が認められる。
別紙認容額一覧表
原告番号 原告 認容損害額 弁護士費用 合計認容額
一 五十嵐幸栄 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
二 五十嵐カヨ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
三 織田三江 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
四 三浦スヅ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
五 大塚キイ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
六 志田新作 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七 五十嵐三作 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
八 石山喜作 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
九 小武シズカ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
一〇 高橋マツイ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
一一 井村十三男 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
一二 石山松栄 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
一三 渡辺義 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
一四 坂井ミヨイ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
一五 小武節子 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
一六 渡辺篤 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
一七 木村政雄 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
一八 木村實 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
一九 南サク 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
二〇 井村文吉 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
二二 今井八蔵 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
二三 木村満子 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
二四 井村キヨ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
二五 木村冬 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
二六 平岩喜代三 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
二七 平岩春次郎 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
二八 平岩愛子 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
二九 新保新次郎 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
三一 福井勝治 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
三三 坂井フミイ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
三四 長谷川ミツ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
三五 吉田カヅイ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
三六 渡辺ヨシ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
三七 星田ゆきえ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
三八 今井ミイ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
三九 五十嵐コシミ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
四〇 佐久間タカノ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
四一 佐久間ムツミ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
四二 長谷川サチ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
四三 加藤信一 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
四四 加藤傅作 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
四五 加藤トヨ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
四六 角田平吉 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
四七 川瀬吉平 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
四八 山田正 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
四九 渡辺隆吾 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
五〇 渡辺トミノ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
五一 五十嵐キヨ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
五二 大嶋興四一 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
五三 大嶋ヨシノ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
五四 帆苅好子 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
五五 市川栄作 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
五六 中川キサ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
五七 帆苅周彌 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
五八 石塚治七 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
五九 市川文子 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
六〇 水留信 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
六一 市川サキ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
六二 渡辺テイ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
六三 鎌田建作 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
六四 中川トメ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
六五 板倉ハツミ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
六六 中川タミ 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
六七 鈴木勇 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
六九 加藤キソ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七〇 小嶋キヨミ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七一 斉藤新一郎 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七二 鈴木ミヨシ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七三 皆川和男 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七四 石井文作 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七五 阿部繁昌 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七六 阿部キヨ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七七 斎藤フジ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七八 浅井洋右 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
七九 佐久間七太郎 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
八〇 齋藤昭二 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
八三 神田イキ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
八四 波多野キヨノ 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
八五 板屋越盛雄 二五〇万円 五〇万円 三〇〇万円
八六 山口喜代治 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
八七 杉崎力 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
八八 杉崎定美 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
八九 長谷川芳男 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
九〇 江花豊栄 七五〇万円 五〇万円 八〇〇万円
九一 江花新寿 二五〇万円 五〇万円 三〇〇万円
九二 斎藤一二 二五〇万円 五〇万円 三〇〇万円
九三 伊藤七郎 二五〇万円 五〇万円 三〇〇万円
九四 伊藤種男 五五〇万円 五〇万円 六〇〇万円
別表1
地震前に捕獲した幼魚中の総水銀量
魚種
検体数
水銀量(ppm)
石戸
ウグイ
8
7.48
オイカワ
4
5.80
平均
6.82
佐取
ヤマメ
2
5.19
カマツカ
3
6.47
ウグイ
4
5.91
オイカワ
9
6.40
チチブ
1
8.86
モリアオガエル
1
7.02
平均
6.34
新郷屋
モツゴ
1
5.12
カマツカ
2
6.15
ウグイ
6
4.59
オイカワ
4
5.89
マハゼ
2
4.04
マブナ
21
4.26
チチブ
8
6.32
平均
4.93
別表2
地震前に捕獲した幼魚中の
メチル水銀量
魚種
検体数
メチル水銀(ppm)
石戸
ウグイ
2
3.89
オイカワ
2
2.02
平均
3.14
佐取
ヤマメ
1
5.34
カマツカ
2
4.78
ウグイ
2
6.69
オイカワ
3
5.20
チチブ
1
5.75
平均
5.51
新郷屋
モツゴ
1
3.44
カマツカ
1
4.82
ウグイ
3
3.62
オイカワ
1
4.11
マハゼ
1
3.14
マブナ
4
2.59
チチブ
3
4.69
平均
3.63
別表3
魚介類、底棲生物の水銀含有量(試験班中間成績、および日本海区水産研究所調査抜すい)
河口より
の
距離
Km
魚介類名
採取場所
ニゴ
イ
マルタ
〔ウグイ・
ハマ〕
メ
ナダ
(ボラ)
オイ
カワ
マハゼ
ラ
イ魚
ウナギ
ナマズ
フナ
カ
ジ
カ
川ガレ
イ
アユ
マス
サケ
シジ
ミ
ヒ
ラ
メ
クロウシ
ノシタ
モ
クズ
カニ
イ
シ
カニ
カワハギ
硅藻
昆虫
海域
松浜沖
0.34
0.26
2.7
0.03
4.2
16.0
3.3
0.13
1.00
1.16
1.0Km
以内
阿賀野川
河口付近
21.0
0.44
4.6
0.17
1.64
0.11
2.16
1.15
2.00
0.50
12.3
1.48
0.95
1.93
HP
0.03
0.11
0.02
3.0
阿賀野川
津島屋
8.38
0.40
2.13
3.35
0.61
4.12
0.04
4.5
阿賀野川
一日市
2.36
0.32
2.96
0.34
2.06
0.01
1.47
0.25
14?15
阿賀野川
横雲橋付近
3.94
4.80
2.40
12.0
12.0
8.0
2.32
17.0
23.0
阿賀野川
水原町分田
0.17
6.01
1.83
0.0
30.0
阿賀野川
矢田橋
1.55
1.72
34.0
阿賀野川
馬下
2.29
4.64
1.22
0.77
2.60
2.85
5.10
37.0
阿賀野川
石間
3.58
1.73
1.65
43.0
阿賀野川
岩谷
1.55
2.33
49.0
阿賀野川
揚川発電所
(谷沢)
5.14
5.26
6.78
内臓
1.96
0.59
4.34
3.32
56.0
阿賀野川
染川町
キリン橋付近
3.28
41.0
0.06
59.0
阿賀野川
昭電排水口下流
2.8
5.48
1.52
9.13
9.45
60.0
阿賀野川
鹿瀬橋
0.72
1.07
1.81
1.26
対照
新井郷川
1.07
0.09
興野川
(小出町)
0.02
(単位ppm)